このウェルビーイングの在り方をもう少し高い視点から俯瞰すると、中国の思想になぞらえて、道教的あり方か、儒教的あり方か、ととらえることもできます。道教的なあり方というのは、簡単に言えば立身出世を求めず無為自然で、今風に言えばスローライフを追求するような考え方です。まさに一般的に想像されているようなウェルビーイングのようですが、実は歴史的にみれば、老荘思想的な在り方を幸せな生き方とする時代ばかりではありませんでした。

 むしろ儒教的な思考で、刻苦勉励し、立身出世し、人のため世のために役に立つ立派な人になろうという生き方こそがウェルビーイングだとする時代もあったのです。

 ここで私は何が言いたいのかと言えば、ウェルビーイング、つまり幸せな生き方ひとつとっても、個々の志向性や時代の流れに影響されるものだということです。疫病の大流行や激しい紛争に見舞われた時代には、「世のため人のために頑張ろう」という儒教的な考えを持つ人が増えますが、今の日本のように、戦争もなく差し迫った大きな危機が想像しにくい時代には(個人的には、結構な危機が差し迫っているというか、既に到来している感じもしますが、一般論として)、漠然とした不安の中、もう少しゆったりした、道教的なウェルビーイングを重視しようという考え方の人が多くなる気がします。ただこれも、いつ逆回転するかは分かりません。

ウェルビーイングを叶える地方移住

 このウェルビーイングの視点で、地方移住について考えてみましょう。

 コロナ禍にワーケーションが流行りました。ワークとバケーションを組み合わせた造語ですが、人が密集して暮らす都会から地方に移住し、働きながらバケーションも満喫する生き方が多くの人を惹きつけました。