国際スタッフが体現する現代史

 ウクライナに関わる仕事をしていると、記者・編集者として『フォーサイト』で扱ってきた時事ニュース、今となっては「現代史」の範疇に入る冷戦後の激動を「生きてきた」人たちと一緒に仕事をする場面がある。

 ピースウィンズのウクライナ事務所に駐在する北マケドニア人のラディスラブ・レシュニコフスキもその一人だ。ピースウィンズのウェブ連載のために取材した彼の話を引用する。

ラディスラブ・レシュニコフスキ氏(筆者撮影)ラディスラブ・レシュニコフスキ氏(筆者撮影)

 彼は高校2年生と3年生の間の休暇に友達と鉄道旅に出てまもなく、ユーゴスラビア紛争が起きて、一時、帰国できなくなった。幸いマケドニア(後に北マケドニア)は戦闘なく独立することができたが、コソボやボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争のために数十万人の難民が流入した。ユーゴスラビアはさほど豊かな国ではなかったけれど、生活するのに問題はなかった。そんな普通の暮らしが突如奪われた人たちを目の当たりにした。

 学生として、JICA(国際協力機構)やNGOで人道援助の仕事に関わったのち、東京外国語大学大学院で紛争予防を学んで母国に戻っていたが、ウクライナ紛争を受けて「他人事ではない」と感じて、ピースウィンズに入った(https://global.peace-winds.org/journal/49397)。

「世界はいったい何をしているのでしょう?」

 去年、「難民の日」の連載のために取材したベルマ・シシチも、旧ユーゴスラビアの出身だった。取材当時イラクに駐在して(https://global.peace-winds.org/journal/48720)、シリア難民の住居を改修する仕事をしていた。彼女が13歳の時にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発。ティーンエイジャーだった3年半、故郷は戦場だった。撃ち合いも見たし、手榴弾が爆発するのも見た。通学は、いつスナイパーに撃たれてもおかしくない状況で500メートル歩かなければならなかったと振り返る。

 ウクライナで戦争が始まった時、「ウクライナの友達にどう声をかけたらいいのだろう」と考えながらニュースを見ていると、テレビからキーウへの空爆を知らせるサイレンが鳴り響いた。その瞬間、「私の体の全細胞が叫び出した」と彼女は言う。「13歳の自分」に一気に引き戻されたのだ。当時、何度も考えた「(殺し合いを止められない)世界はいったい何をしているの?」という問いは、30年の時を経て、大人になった彼女を同じように苦しめる。ウクライナの現状を見ながら彼女は言った。「世界はいったい何をしているのでしょう?」。

ベルマ・シシチ氏(筆者撮影)ベルマ・シシチ氏(筆者撮影)

 ラディスラブもベルマも、自らの経験を踏まえて、世界情勢への大きな疑問を抱きながらも、今自分にできる目の前の支援活動を行なっている。NGOで働いたこの1年、私の仕事はそのほんの一部の手伝いでしかないが、時に過酷な国際人道支援の仕事に就くのはどんな人たちなのだろう? という問いがいつも頭にある。ここで発見したことを時折こうして伝えていければと思う。

草生亜紀子
(くさおいあきこ)翻訳・文筆業。NGO職員。産経新聞、The Japan Times記者を経て、新潮社入社。『フォーサイト』『考える人』編集部などを経て、現職。

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