スパルコボックスと開発者の根岸重一さん(息子の根岸明弘さん提供)

 カラオケは多くの日本人にとって今や生活の一部。忘年会や新年会、歓送迎会の2次会でカラオケに行くのは定番とも言える。

 このカラオケを発明し世界で最初に商品化した根岸重一さんが亡くなった。満100歳だった。

1967年、スパルコボックスを開発・商品化

 根岸さんは日本が高度経済成長へ向かっていた1967年、東京オリンピックの3年後、カラオケマシン「スパルコボックス」を開発・商品化した。

 スナックなどに無料で置いてもらい、利用者から1曲100円を利用料をもらい、その一部をスナックなどのお店にキックバックする販売方法が当たり、大ヒットした。

 一般に「カラオケシステム」を開発して世界にその文化を広げた人物としては、米タイム誌の「20世紀 アジアの20人」にも選ばれた井上大佑氏が知られているが、本格的な伴奏にエコーマイクでミキシングする仕組みを初めて商品化したのは実は根岸さんだった。

 根岸さんの息子さん、明弘さんは話す。

根岸さんのご自宅に保存されているスパルコボックス(明弘さん提供)

「発明や新しいことが大好きな父はお金儲けは二の次でした。当時、夜のスナックではギターを片手にお客さんのリクエストに沿って演奏する『流し』が一般的でした。お客さんはその演奏を聴いたり、時には歌詞を口ずさんだ」

「もし人に頼らず簡単に伴奏ができ、それに合わせて歌えたら楽しい、そういう楽しい文化を日本に、そして世界に伝えたいというのが父の思いでした」

「そのため、もし当時特許を取っていたら大金持ちになれたのにとよく言われるのですが、父はお金より自分のアイデアで多くの人が喜んでもらえることが嬉しかったのだと思います」

 当時は、権利ビジネスが成熟していなかったこともあり、根岸さんのアイデアはお金には結びつかなかった。

 その後、カラオケ機械は大手電機メーカーが自社製品を発売して大ヒットとなった。

 根岸さんもカラオケという世界の大ヒット商品を開発したにしてはそれほど有名にはならなかった。

 しかし今回、最初に根岸さんの訃報を伝えたのは、米国のウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)だった。