人一倍とは言えないが、いわゆるカリスマ型リーダーと呼ばれた人に数多くインタビューし、そうした人々の記事を書いてきた経験がある。
しかし、この人と会ってから自分の中でリーダー像に対する考え方が変わってきた。カリスマは時代の要請ではなくなってきたのではないか、と考えるようになったのだ。
日本IBM時代には営業本部長、常務としてIBMのパソコン事業を引っ張ってきた男、堀田一芙さんである。
2015年には山形県高畠町で大人が小学生時代の好奇心を持って学び直すというコンセプトの「熱中小学校」を立ち上げた。
その熱中小学校は北海道から九州まで日本全国に広がり、今や米国のシアトルにまで設立されている。
その道で功成り名遂げた講師陣はみな手弁当だが、その数は既に300人を超えている。地方の発展に少しでも協力したいという人たちの集まりだ。
このシステムを作り上げたのが堀田さんだ。というより堀田さんでなければ作り得なかったと思う。
様々なジャンルの講師陣は強烈な個性の集まりでもある。日本の地方もまたそれぞれに独特な文化と歴史を持つ。
強烈な個性のぶつかり合いを見事に演出しているのである。自分の主義主張で引っ張るカリスマ型リーダーには不向きな事業といえる。
今の時代の日本に求められているのは、こういう形のリーダーではないだろうか。
ネット時代も第1世代、第2世代、第3世代へと進化し、分散型の様相を強めている。こうした社会にあっては、自分の色に染めて部下やステークホルダーを動かすカリスマ性はかえって邪魔になる可能性がある。
地方創生、分散型社会のリーダー像。その一つの形が堀田さんではないかと思うのである。ではその堀田さんとはいかなる人物か。
お付き合いの中で私が見た堀田さん像を語ることは可能である。日本や米国のIBMを取材してきた目で、また熱中小学校をすぐそばで見てきた目で語りたいことは山ほどある。
しかし、残念ながらそれはできない。堀田さんの人となり、歴史をうまくまとめた本が出てしまったからだ。
「老いてからでは遅すぎる」(海辺の出版社、2022年5月15日発売、本体価格1600円)がそれである。
その中からとりわけ堀田さんらしいなぁと思う部分を少しだけ抽出すると、堀田さんは「会社の名刺がなくなったら自分は何者か」と常に自分に問いかけながら生きてきたという。
また、第3章の「人のやらないことをやる」では、日本IBM時代に10年以上続けたという「シャドープログラム」のエピソードが紹介されている。
どこへ行くにも、それが上司に怒られる場面であっても、必ず自分の影「シャドー」となる部下を連れて行ったというのだ。
シャドーは堀田さんの人脈や数々の“事件”に遭遇し、普通ならできない経験を積むことになる。
私も日本を代表する経済雑誌で人一倍長く副編集長を務めたこともあり、2年や3年ごとに替わる編集長のインタビューにはシャドーとして何度もお供した経験がある。
エピソードの引き出し方、人脈の作り方、人を見るポイントなど、様々なテクニックを先輩方から盗ませてもらった。
自分もまた若い人を連れて行った。その時は逆に若い人の見方、考え方を盗む良い機会だった。堀田さんのシャドープログラムには、堀田さんの人間性と好奇心が集約されているように思えてならない。
この本では日本IBM時代のことにも多くのページを割いている。日本IBMという会社が日本でどのような役割を演じ、日本のコンピューターやパソコン、ITの発展に貢献してきたのかもよく分かる。
実際、私自身もこの本を読みながら、コンピューターやパソコン、IT、通信などの人間くさい発展史を復習させてもらった。
とりわけ、米国IBMのバイスプレジデントも務めた三井信雄・元日本IBM副社長のくだりは、まるで目の前に三井さんがいるかのようだった。
私の米国駐在員時代に、IBMを退職された三井さんに大変お世話になった時のことを、昨日のことのように思い出させてくれた。
何かと嘘っぽいカリスマ物語ではなく、混迷の時代に、楽しく面白く満足感を持って生きる術が詰まった本であった。
75歳になっても全く衰えない行動力と人間の魅力。堀田さんから学ぶことは実に多い。