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約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?
211年に加入した、黄忠とは異なるもう一人の武将「孟達」
前回の記事で、劉備軍団の飛翔を助けた人材は、208年から211年に間に加入した者ではないか、との推論を元に考察を重ねました。結論として、武の黄忠、智の法正がその後の約10年間の領土拡大、蜀帝国の成立に向けた連勝を生み出したと判断しました。
一方で、211年には蜀と劉備軍団の命運を大きく左右する(マイナスの意味で)、最大の悲劇を誘発する人材が加入しています。それは武将の孟達です。孟達は法正と同郷で、二人はほぼ同じ時期に劉璋陣営から、劉備陣営に鞍替えしています。
この孟達は、劉備陣営の拡大期の後半から活躍します。特筆すべきは、219年に行われた上庸攻略戦で、途中派遣された劉封と李厳らとともに、魏の上庸太守を降伏させ、この瞬間、劉備は挙兵以来最大の領土を獲得したことになりました(わずか数カ月で崩壊するが)。
ここまで振り返ると、孟達は劉備陣営に幸運をもたらす人物に感じます。しかし、この最大版図を数カ月で消滅させたのも、まさにこの孟達だったのです。