- 2月14日、台湾の離島・金門島の周辺で中国の違法漁船が禁止・制限海域に侵入し、パトロール中の台湾の巡視船と接触・転覆。乗員2人が溺死した。
- これを機に中台の緊張が一気に高まっている。懸念されるのは、中国が「サラミ戦略」を強化し、金門島をいずれ実効支配してしまうことだ。
- それは、ロシアがクリミア半島を占領し、現在のウクライナ侵攻へと発展した事態を連想させる。台湾有事のリスクが金門島海域から高まる可能性がある。(JBpress)
(福島香織:ジャーナリスト)
2月14日に台湾の離島、金門島周辺で起きた事件は、今後、大きな懸念の種になるかもしれない。中国の違法漁船が金門島周辺の禁止・制限海域に侵入したことで、台湾の海巡署(日本の海上保安庁に相当)の巡視船が追尾したところ、反転してきて接触、転覆し、乗船していた4人のうち2人が溺死した事件だ。この事件を機に、中国が金門島周辺でのパトロールを強化、19日には台湾の金門島観光クルーズ船の臨検を行う事態となった。これで金門島をめぐる中台の緊張は一気に高まり、台湾海峡の現状変化につながるのでは、と事態の推移が注視されている。
事件の概要を簡単に振り返ろう。
台湾の金門県とは、金門島(大金門島)を中心に12の島から構成される。金門島は台北からおよそ200キロと離れるが、中国福建省岸からは10キロほどで、金門県の馬山と中国厦門市の距離はわずか2キロあまりだ。
1937年に日本に占領されたが、日本の敗戦により再燃した国共内戦で、台湾に敗走してきた蒋介石率いる中華民国軍が1949年の古寧頭戦役、1959年の823砲戦(第2次台湾海峡危機)を経て金門島の実効支配に成功した。以降、馬祖県とともに蒋介石の夢みる「大陸反攻」の前線基地とされていた。
1992年11月7日、戒厳令と戦地政務実験弁法が解除され、大陸反攻の夢がついえるとともに、中台間の緊張は緩和され、2001年に「小三通」と呼ばれる金門島と厦門間の直接客船往来が始まる。それにより中国人の往来も盛んになり、人気の国共内戦歴史観光地となっていた。
1992年に台湾政府は島嶼を囲むように2キロから10キロの範囲を禁止・制限水域とし、中国の船が勝手に進入することを禁じている。だが、あまりにも中国との距離が近いため、昔から金門県水域には中国の密漁船、密輸船、密入国船、少額貿易船がしばしば勝手に進入していた。
中国の経済高度成長期、こうした密輸、少額貿易などはかなり減ったが、密漁や中国側の遊覧船が金門島の禁止・制限水域に侵入することは今も珍しくない。こうした密漁船、密輸船の取り締まりは、台湾の海巡署第九海巡隊が常時パトロールし、発見しては禁止・制限水域から駆逐していた。