「11月の声を聞くと自然に体がワクワクするような感覚になります。まるで運動会で一等賞を狙う前日のような感じで、昔から代々漁師でしたから遺伝子がそうなっているのでしょうかね」
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このような意気込みを吐露するのは岩手県宮古市の太平洋の外洋に面した重茂(おもえ)の60代の漁師Sさんである。長年の潮に晒された赤銅色の顔には深い皺が覆っているが、目はまるで少年のように輝いている。
アワビの本場
Sさんが指摘しているのは11月の「アワビの口開け」(=アワビ漁の解禁)である。岩手県のルールでは口開けは11月と12月の僅か2カ月だけで大体10回があてられているが、外洋に面しているこの辺りは時化が多いので口開けが中止になることは珍しいことではなく、そうなると1月まで伸びることもある。漁の開始は午前7時から10時半までで、漁師は自由にアワビを採ることができる。
「昭和35年にはここは日本一の漁獲量を誇って200トンも採れていたんです。ウチの祖父はアワビ採りの名人と呼ばれていて一回で100万円も採っていたほどです。『海の中にはお札が落ちている』というのが口癖で、海を知りつくし、どこの磯の岩場にアワビがいるのかが頭の中に入っていたんでしょう。
技術もなければ採ることはできないんですが、そんな名人はもう浜にはいなくなりました。昔は櫓を使って磯に向かい、箱メガネを口で加えて海底の岩場にいるアワビをカギが付いている長い竿を使って引っかけて採っていました。舟がその場所から動かないように足で櫓(ろ)をコントロールしていたのですからまるで神業ですよ」(Sさん)
岩手の三陸では潜り漁は一部を除いて認められておらず、舟の上からカギのついた竿を使って5~7メートル下の岩場にいるアワビを狙う。それも身に傷がつかないようにアワビの端の殻を引っかけて採らなければならない。傷がつけば商品価値が下がるからだ。
もしかしたら、「アワビ漁は岩場に張り付いたアワビを剝がすのが大変そう」と思われる読者もいるかも知れないが、実はアワビは岩場近くを数センチ浮きながら捕食をしている。危険を察知すれば岩場に引っ付くが、漁師は引っ付く前の浮いているアワビを狙うのである。
午前6時前、真っ暗な浜に続々と漁師が集まりはじめる。小型の船外機付きのサッパ舟で出漁する準備を整え、狙いの漁場に出航していく。
本州で一番早く日の出を拝める本州最東端にある重茂でもこの時期は6時半近くにならないと夜が明けない。それを待つように7時前には狙っていた磯に向けて一斉に出港していく。350隻にも及ぶ漁船が一斉に港を出ていく様は壮観だ。