そこで、単独で複数人を殺害しながら、一審の裁判員裁判で死刑判決、二審の高等裁判所で心神耗弱が認められて死刑が取り消された事例を取り上げてみる。

 ひとつは2015年3月に、兵庫県の淡路島でいわゆる“ひきこもり”の男が、夜明け前に近隣の民家に相次いで押し入って住人5人を刺殺した事件だ。

犯行当時、「妄想」にとりつかれていたのなら…

 男は裁判で被害者5人を「サイコテロリスト」「工作員」と呼び、「電磁波兵器で攻撃されていた。犯行は、その反撃だった」と主張。「本当の被害者は私。工作員がブレイン(脳)ジャックし、殺害意思を持つよう強制した」とまで語っていた。男には入通院歴があり、措置入院も2度あった。ずっと投薬治療を続けていた。

 一審の裁判員裁判では死刑が言い渡された。ところが、職業裁判官のみで審理される二審の高等裁判所は犯行時の「心神耗弱」を認めて死刑判決を破棄し、無期懲役とした。

 こうしたケースは、他にもある。同じ2015年9月に、埼玉県熊谷市でペルー人の男が見ず知らずの住宅に次々と押し入り、小学生2人を含む6人を殺害した事件では、男が「ヤクザに追われている」と語るなど、誰かに追われているという妄想があったとされ、やはり一審の裁判員裁判の死刑判決を高裁が破棄し、無期懲役としている。いずれの事件も、そのまま無期懲役が確定している。

 5人、6人殺しても死刑にならなかったケースだが、青葉被告にここまでの「妄想」があったと言えるだろうか。

 検察側が主張するように、最高裁判例が妄想について「自分の生命・身体を狙われていて攻撃しなければ自分がやられる」という差し迫った内容だったり、現実とかけ離れた虚構の出来事を内容とするものだったりを重視しているのは、こうした事例だ。

 むしろ、青葉被告が応募した小説の落選と「アイデアをパクられた」と結びつけるのは、妄想というより、事態を客観的に受け止めることのできない認知能力の欠如からくる思い込みといったほうが正しい。青葉被告に限らず、ネット情報で陰謀論を信じる人間がいかに多いことか、いまの時代を生きる人間ならばよくわかっているはずだ。