自由でありながらさみしくない人生は存在するのか?

 ひとり暮らしでもっとも大変なのは、おそらくさびしさでしょう。

 暖房が入っていない家に帰りたくないなら、人の声が恋しくてテレビのスイッチをつけたことがあるなら、電子レンジで温めるインスタント食品だけれど一緒に食べてくれる人がいたらいいのにと思ったことがあるなら、さびしさがいかに苦痛なのかわかるはずです。

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 一方、結婚生活でもっとも大変なのは、束縛されている感覚でしょう。

 やりたいことを思いきりできず、自由気ままに旅行にも行けず、さらに子どもでも生まれたら、まさに責任と義務という鎖に縛りつけられたような気分になります。

 何年か前、友人のひとりがわたしに愚痴をこぼすようにこう言いました。ある日、仕事を終えて午前2時ごろに帰宅すると、妻と子どものふたりが寝ているはずなのに、布団からは3人分の足が出ていたそうです。妻の浮気を知った瞬間、友人は息が詰まり、どこかに逃げたくなったと言うのです。

 おそらくそんな気持ちだったことでしょう。ジョン・アップダイクの小説『走れウサギ』(宮本陽吉訳、白水社、1984年)でハリーが逃げたのも。

 ヘンリーは、台所道具のセールスマンとして働いています。

 過去には高校のバスケットボール選手として人気のあった彼は、毎日同じように繰り返される日常に息が詰まりそうでした。

 ところがある日、いつもテレビばかり見て過ごしている妻が妊娠したと言うのです。

 それでなくても、同じことの繰り返しの人生なのに子どもまで生まれるとは……。彼はある日、偶発的に車で家出をしてしまいます。

 いろいろあったすえに気を取り直して家に戻った彼を迎えたのは、赤ん坊の泣き声と妻の果てしない小言でした。

 ハリーはふたたび家を出ます。そして、最初の家出のときに出会った売春婦のところに行くのです。しかし、そこでも長くはもちません。売春婦も妊娠をしたからです。

 ハリーはちょっと店に行ってくると言って、どこかにまた逃げてしまいます。

 さびしさも、束縛感も、もっとも耐えがたい感情のひとつです。ところが本当に悲しい事実は、さびしさから逃れようとしたら束縛を選ばねばならず、束縛されずにいようとするとさびしさに耐えなければなりません。

 さみしいのが嫌で、結婚するのも嫌なのに、束縛されるのが嫌だからと結婚をしないわけにもいかず……。

 いったいどうしたらよいのでしょう?

 自由でありながらさみしくない人生は、本当にないのでしょうか?

 そんな質問をする前に、このことは知っておかなければいけません。

 結婚したからさみしくないわけではありません。最悪の場合、愛する人が横にいてもさみしいときがあります。

 また、シングルだからって束縛されないわけではありません。生計を維持しようとしたら稼がなければいけないし、そうなるとなにかに束縛されるほかありません。

 つまり、どんな人生を選ぼうと完全に自由でさみしくない人生なんてありません。ただ、他人よりも少しだけ自由度が高かったり、少しだけさびしさが少なかったりする人生があるだけです。

 ですから、結婚をすることを決めたら、まずはその生活の限界を認めて、受け入れなければなりません。それが幸せで楽しく生きる第一歩です。