結婚したらさみしくなくなるわけではないし、シングルだから束縛されないわけでもない。つまり、どんな人生を選ぼうと完全に自由でさみしくない人生なんてない。よりよい人生をおくるための知恵を、韓国で尊敬を集めている精神科医が解説する。(JBpress)

※本稿は『人間として最良のこと』(キム・ヘナム著、バーチ・美和訳、日経BP)より一部抜粋・再編集したものです。

(キム・ヘナム:精神分析医)

結婚が愛の墓場ならば、ただぞっとする人生

 人生の重さと確実性から解放され、自由を楽しんで生きていきたい外科医トマシュ。

 彼にとって結婚とは、「耐えられないほど重い人生のくびきであり、自由な人生の終わり」なだけです。

 そうだと知らずに間違って結婚したことがありましたが、それ以降は違いました。彼は一度の結婚によって、自分が生涯を通してひとりの女性とだけ生活するのが難しいタイプの人間であると理解します。

 結婚の義務、夫の使命などがないときに初めて心が軽くなるトマシュ。自由恋愛主義者の彼は、真面目に人生を生き、運命的な愛を信じるテレーザと、あらゆる束縛を拒む自由奔放な画家サビーナを同時に愛します。

 トマシュとの愛を運命と受けとめるテレーザは、ひっきりなしに自由恋愛を楽しむトマシュを理解できず葛藤します。ついにテレーザはトマシュの軽薄さに耐えられず、彼のもとを去るのです。

 ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』(千野栄一訳、集英社、1998年)に出てくる話は、わたしたちに愛と結婚と人生の意味を問いかけます。小説でトマシュはのちにテレーザのもとに行きます。耐えられない人生のくびきに縛られてでも、彼女と人生をともにしたいと思ったのです。しかし残念なことに、ふたりは互いの愛を確かめ合った日に交通事故で命を失うことになります。

「恋愛は夢で、結婚は現実だ」とよく言われます。

 ラッセルも「結婚生活の多く、愛は義務や現実を前にして色褪せるしかない」と言っています。トマシュもそう考えたはずです。それだから最初にテレーザと別れるしかなかったのでしょう。テレーザを引き留めるのに結婚は荷が重すぎると考えたのです。

 ところでトマシュはのちになって、なぜテレーザのもとへ行ったのでしょうか? 彼らが交通事故で死ななければ幸せな人生を送ったのでしょうか?

 明らかにわかることは、もし結婚していたら必ず後悔したはずだということです。もともと結婚とは、しても後悔、しなくても後悔するものなのですから。

 では人間はなぜ結婚するのでしょうか?