- クラシック音楽の中の核心的な要素である「祈り」を感じさせるコンサートが、この夏にいくつも開催された。
- その中から、樫本大進とヴァイグレ指揮読響による細川俊夫作曲のヴァイオリン協奏曲「祈る人」と、チョン指揮東京フィルによるヴェルディのオペラ「オテロ」を振り返る。
- 争いごとの絶えない、ストレスフルな今の時代こそ、「祈り」の音楽を体験すべきだ。
(林田 直樹:音楽ジャーナリスト・評論家)
クラシック音楽の世界で、底流のように続いている大切なテーマの一つが「祈り」である。
ストレスフルな、争いごとのますます絶えないこの世の中で、騒がしい音楽よりも落ち着く静かな音楽を求める人は増えている。なかでも「祈り」の音楽は特別だ。
キリスト教の信者でなくとも、バッハやモーツァルトのミサ曲を聴けば、誰しもがその澄み切った響きに心洗われる思いがするものだ。特定の宗教に属していなくとも、寺社仏閣や教会に行けば、誰でも敬虔な気持ちになって、思わず襟を正したり、手を合わせたりするのと似ているかもしれない。
祈りとは、どんな現実主義者にとっても決して無縁ではありえない、古代からの人間共通の営みである。それはクラシック音楽の中においても、核心的要素ともなっている。
この夏のコンサートでも、「祈り」について考えさせられるものがいくつもあった。そのうち二つについて、ここではご紹介したい。
細川俊夫作曲、ヴァイオリン協奏曲「祈る人」の日本初演
現在の日本人で、世界的に活躍しているクラシックの現代作曲家といえば、細川俊夫(1955年生まれ)の名をまず挙げなければならない。ザルツブルク音楽祭やエクサン・プロヴァンス音楽祭のようなトップクラスの場で新作が演奏されるほどの作曲家である。
去る7月27日には、サントリーホールで常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレと読売日本交響楽団、そして樫本大進のソロで、ヴァイオリン協奏曲「祈る人」の日本初演がおこなわれた。これは、樫本がコンサートマスターをつとめるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で3月に世界初演された注目作であった。
孤独にひとり震えるような樫本のヴァイオリン・ソロに始まり、再び同じ場所に回帰し消えていくかのような、30分弱のこの作品を聴いて思ったのは、「祈り」とは闘うことであり、抗うことでもあるのではないか、ということだった。