羽柴秀吉と徳川家康が直接対決した「小牧長久手の戦い」の舞台となった犬山城

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第31回「史上最大の決戦」では、すさまじい勢いで台頭する羽柴秀吉が、織田信長の次男にあたる信雄を安土城から追放。家康は信雄から助けを求められて、秀吉軍と戦うことになるが……。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

家康からもらった「名茶器」に秀吉が感激したワケ

「怪演」という言葉がまさにぴったりくる。大河ドラマ『どうする家康』で、羽柴秀吉(豊臣秀吉)を演じるムロツヨシのことだ。

 1583(天正11)年の賤ケ岳の戦いで、柴田勝家に勝利した秀吉。文献では、家康はその戦勝祝いとして、名物茶器「初花肩衝(はつはなかたつき)」を、石川数正に持たせて渡したことがわかっている。

 今回の放送回ではそのシーンが演じられたが、「初花肩衝」を贈られた秀吉は「もったいねぇ、そんな……」と漏らして、目を潤ませている。

 秀吉のそんなリアクションは過剰にしても、初花肩衝が特別な茶器であることは確かだ。「天下三肩衝」と言われた名物茶入が「新田(にった)」「楢柴(ならしば)」、そしてこの「初花」である。3つすべてを持ったのは、秀吉と家康の2人だけとされている。

 初花肩衝は、もともと室町幕府8代将軍の足利義政が所有していたもので、京の商人の手を経て、信長のもとへわたった。「新田」も所持していた信長は2つの名茶器を手にしたことになるが、嫡男の信忠に家督を相続させたタイミングで「初花肩衝」のほうを与えている。

 その後、本能寺の変で「新田」と「初花肩衝」がともに行方知らずとなるも、松平家の一族で家康に仕える松平親宅が「初花肩衝」を入手。家康に献上した。そして、今度は家康から秀吉のもとにわたることになったのである。

 そんな経緯を踏まえると、戦勝祝いとしては、この上ないものを家康は秀吉に贈ったといえるだろう。だが、その一方で自分が出向くことはなく、数正に持参させているところも、「逆らわないが屈服もしない」という家康らしさが出ているように思う。

 ドラマでは、名茶器の献上にあれだけ感激した秀吉が、数正が退出したとたんに「当人が来ねえとはな」と静かな怒りをみせている。ムロツヨシならではの怪演ぶりは、SNSでも話題を呼ぶこととなった。これからの激突を予感させる名シーンといえよう。