徳川家康が埋葬された静岡市駿河区にある久野山東照宮(写真AC)

日本の未来を見据えていた12人(第12回)「徳川 家康」

(倉山 満:憲政史研究者)

 現代に生きる我々が徳川家康から学ぶ点は、2つ。

 1つは、常に強敵を相手の苦しい戦いの連続の中で勝ち抜いた点である。特に、その生涯の大半が、隣接する2大国に挟まれて、苦しい経営を強いられた。敗戦以来、常に超大国に振り回され、あるいは従属を強いられている現代日本にとって、学ぶべき偉大な先人である。

 もう1つは、未来に続く体制(システム)を構築した点である。現状に振り回されているからこそ、歴史に学び、どのような未来を描くかを学ぶべきであろう。

今川に従属しながら機会を待つ

 徳川家康は、天文11年(1543年)に三河の土豪・松平広忠の嫡男として生まれた。三河は今の愛知県東部である。幼名・竹千代。しかし、3歳にして母と生き別れ、6歳から13年に及ぶ人質生活を送る。

 当時の松平家は、東に今川、西に織田の2大勢力に挟まれ、常に両家の角逐の場として難しい舵取りを強いられた。父・広忠は、家臣に裏切られて暗殺されてしまう。今川と織田、どちらに付くかで常に家中も揺れていた。

 結局、松平家は今川への従属を選ぶ。竹千代は今川義元から一文字を与えられ、元康を名乗る。また、重臣の娘を嫁に貰い、今川一門として遇された。この時代、軍門に下った家の子弟は、厚遇される。新領土経営を円滑にする為である。元康は戦国随一の軍師である太原雪斎から英才教育を受けた。

 だが、従属する側が、素直に感謝するだろうか。近代において大日本帝国は、大韓帝国と合邦を行った。旧王家の者たちは日本の貴族として遇され、皇室との婚姻も進められた。それで韓国人が日本に感謝しないのと同じである。