この「許可どり」という言葉は、「食リポ」と並んでいまやグルメ番組には必須だが、サンドウィッチマンの伊達みきおのように芸のひとつともなっている。あの伊達にして、下手にでているようでじつは、笑福亭鶴瓶のように、好感度日本一のサンドウィッチマンが来たぞ、とけっこう調子に乗っているサマが見えるのだ。

長時間並んで待つのは「価値がわかる」アピールか

 テレビ番組とは無関係に、一般の人か独自の好みで行列をつくる。それをテレビ局がレポートするということはあるが、日本人はいまでは行列に並ぶことに苦痛を感じるというより、むしろ快感を覚えているのではないか、というほどに行列好きである。ファストファッションやスーパーやゲーム発売などにも並ぶが、食べ物にも並ぶ。

 その行列も人数にして10人や20人、時間にして20分や30分ならいざしらず、3時間とか200人とか平気で並ぶのである。なかには県外から、早起きして何時間もかけて車を飛ばしてやってきて、その上さらに店で3時間も待ったりするのである。

 人はいまや食べることにしか「幸せ」を見出せなくなっているのかと思うほど、どこでも行列をつくるのである。

 そんなかれらが口を揃えていうことは、それだけ待っても食べる価値があるということである(けれどほとんどの場合、大したものではない)。自分はばかではない、それだけ待つにはその唯一性の価値をわかっているのだ、といいたいのだろう。価値観がおかしくなっているのである。3時間も4時間も待ちつづけるのは、その価値を手に入れるための困難の証、のつもりである。

 わたしはせいぜい待って20分、30分まで。それくらいなら我慢はできる。実際に行くのは、年に1、2度の南海のカツカレーか「いもや」の天ぷら定食ぐらいである。

「隠れた名店かも」と思って入ると

「町中華」という言葉は広まったのは、玉袋筋太郎の「町中華で飲ろうぜ」というBS-TBSの番組によるものであろう。わたしは「飲らない」のでもっぱら料理を見るだけである。「飲らない」くせに、肩がこらないという理由だけで、たまに「吉田類の酒場放浪記」や「女酒場放浪記」なども見ている。

「町中華で飲ろうぜ」を見ていると、多くの名店や名品があるものだなと教えられる。

 だいたいわが町に町中華はすくない。ごくたまに、この古色蒼然とした中華店に入ってみるか、もしかしたら隠れた名店かもしれんぞ、と入ることもあったが、結局隠れたままにしときゃよかったな、と思うことが多い。

 はじめての店はこういうことがあるから、食べログなんてものが流行るのかもしれない。しかし失敗もひとつの経験だ。