スーダン国軍とRSFの戦闘は首都ハルツームにも深い傷跡を残している(写真:ロイター/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 長引くウクライナ戦争に加えて、スーダンでの内戦は、日本の防衛体制のあり方、自衛隊の役割、武器輸出など、第二次世界大戦後のわが国の防衛政策を抜本的に見直す必要性を認識させている。

スーダン内戦と邦人救出

 アフリカのスーダンで、国軍と準軍事組織RSFが衝突して内戦状態になっている。すでに400人以上が死亡し、一般市民も水や食料を断たれるという惨状になっている。

 各国は、スーダンに滞在する自国民の避難に全力をあげているが、対峙する両勢力は停戦合意も遵守していない。陸路で、たとえば紅海に面するポートスーダンに移動しようとしても、道中の安全の確保に苦労する。

 日本政府は、内戦が勃発すると、自衛隊の輸送機を日本の自衛隊の拠点があるジブチに派遣し邦人退避に備えた。結果的に、この早期派遣が功を奏し、また韓国、フランス、UAEなど多くの国の協力によって、ほぼ全邦人の退避に成功した。

 アメリカ、サウジアラビア、イスラエルなどが停戦を呼びかけ、両勢力への仲介の努力を展開していることも一定の効果があって、まがりなりにも数日間の停戦合意が成立し、その機会に各国は自国民の救出に全力を上げたのである。

 日本の場合、安全上の理由でハルツームからの空路での邦人輸送は断念し、陸路ポートスーダンへ他国の車両と車列を組んで移動し、そこからジブチへ向かったのである。

 かつては、ベトナム戦争でサイゴン陥落のとき、1975年4月、邦人救援に向かった日本航空機はサイゴン空港破壊のため着陸できず、任務を遂行できなかった。そして、イラン・イラク戦争の際に、1985年3月、自衛隊機も民間機も動けず、最後のチャンスに、親日国のトルコ航空機が救援に向かい、イランから日本人216名を乗せて飛び立ったのである。日本の自衛隊は海外の邦人を救出する法的根拠も、能力も与えられない時代があったのである。