確実に言えることは、今回の決定は将来日本のハイブリッド車などの新車販売を可能にするための「蟻の一穴」ではない。今後の欧州の自動車業界の、乗用車に関する開発戦略や政府のモビリティー政策の中心はあくまでもBEVであり、合成燃料に関する例外措置は、選択肢の幅を広げたにすぎない(水素を使う燃料電池は、主に重量が重い長距離トラックに使われる見込みだ)。
たとえばショルツ政権は、30年までに1500万台のBEVをドイツで普及させるという目標を変えていない。政府は、30年までに運輸・交通部門からのCO2排出量を90年比で48%減らすという目標を達成しなくてはならない。ドイツには去年12月末の時点で約7万7000基のEV用充電器が設置されているが、政府はこの数を30年までに100万基に増やすという目標を公表しており、26年までに充電器増設のために63億ユーロ(8820億円)の予算を投じる予定だ。
また欧州最大のVWグループが21年に世界で売った車のうち、44%は中国での販売だ。中国でBEVが極めて重要であることを考えると、VWはBEVに力を集中せざるを得ない。
しかも本稿で説明したように、合成燃料はエネルギー効率の悪さ、生産費用の高さ、生産キャパシティーの制約、再エネ発電設備の伸び悩みなど、これから克服しなくてはならない様々なハードルを抱えており、早期に普及するかどうかは未知数だ。
さらに今回の合成燃料に関する妥協は、ドイツのエネルギー政策の変更を意味するものではない。
ドイツは予定通り、4月15日に最後の原子炉3基を廃止した。廃止日を3カ月半延ばしたのは、ロシアのガス供給停止により、22年から23年にかけての冬に電力不足の懸念が生じたことに対する、短期的な緊急避難措置にすぎない。ドイツ政府は30年までに石炭火力・褐炭火力発電所も全廃するという目標を堅持している。30年までに電力消費量の80%、35年までにほぼ100%を再エネでカバーする方針だ。またショルツ政権は、45年までにカーボンニュートラルを達成するという目標も変えていない。
これらの事実から、ドイツ政府と自動車業界のモビリティー転換にとって、乗用車は当面BEVが主役に留まる可能性が強い。合成燃料は、現在すでに使われている内燃機関車のCO2排出量を減らすのに貢献しうるが、モビリティー転換のためのテクノロジーに新しく加わった選択肢に過ぎず、あくまでも脇役と考えるべきだろう。
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