中国がスパイの摘発を大きく報じるのは、摘発した人物を外交上の人質として用いるためと言っていいでしょう。同時にスパイに対する警戒を国民に意識させる狙いもあるかと思います。

 その中国が最も諜報活動を警戒している相手は、前述の通り米国であることに間違いありません。ただ中国国内の報道を見ていると、日本に対しても、スパイや諜報活動を強く警戒している節があるように感じられます。

 というのも、戦前における日本の諜報活動が今も中国では強く記憶されているからです。

 明治時代以降、日本は対中戦略の一環として、中国大陸の各地において様々な諜報活動を展開しました。日清戦争以前から軍人らに別の名前や職業を用意して、中国での人脈構築や、戦場となりうる地域の地形調査などを行っています。

 筆者が以前このコラムで紹介した柴五郎も、若年時、朝鮮人と身分を偽って、日清戦争に備えて中国東北地方を巡遊しています。

 こうした日本の諜報活動は満州事変(1931年)前後に至ると、より過激化していきます。この時期は日本政府のみならず、満州地方にあった関東軍も独自に諜報活動を展開していました。大陸浪人などと呼ばれた民間人を特務機関に取り込むなどして、混乱期にあった中国で様々な謀略を公然と行うようになります。