寺尾氏は、2014年4月からの大学院研究科長の候補者として、大学院の教授会が出していた教授に対して、研究科長の任命を拒否した。この候補者がビラの配布に参加していたのが大きな理由だった。また、教職員組合の書記長だった教授を、教育研究評議会評議員に指名することも拒否した。

 教職員組合によるビラ配布は、正当な組合活動として認められている行為である。教職員組合では研究科長の任命拒否と、評議員の指名拒否が組合活動への不当な干渉であり、不当労働行為にあたるなどとして、福岡県労働委員会に救済の申し立てを行った。

 この申し立てに対して執行部も全面的に争ってきたが、福岡県労働委員会は任命拒否と指名拒否は正当な組合活動に対してなされた「不利益な取り扱い」だとして、不当労働行為として認定した。執行部は中央労働委員会に不服申し立てをしたが、不当労働行為の判断は変わらなかった。

 すると、執行部は教員たちの想像を超える強行な手段に出た。中央労働委員会の決定を不服として、福岡教育大学が原告となって、国を相手に不当労働行為認定の取り消しを求める裁判を起こしたのだ。

 この裁判で大学側は敗訴し、最高裁まで上告したが2019年1月に棄却されて、不当労働行為が確定した。

最高裁で敗訴しても誰も責任とらず

 不当労働行為をめぐる争いが続いた期間中、2016年4月には寺尾氏に変わって理事だった櫻井孝俊氏が学長に就任した。前述の通り意向投票は廃止されていて、寺尾氏が自らの路線を継承する人物として選んだ学長だった。

 しかも、任期満了で3月末をもって学長を退いた寺尾氏は、4月から副学長に就任した。まるで「院政」を敷いたかのような人事に、福岡教育大学だけでなく、事情を知る全国の大学関係者から驚きの声が上がった。

 さらに、不当労働行為の認定をめぐって大学側は最高裁で敗訴したにもかかわらず、経営協議会や監事から執行部への処分などはなかった。この体制では当然だろう。寺尾氏は最高裁判決が確定した2カ月後の2019年3月に副学長を退職した。

 これだけの異常な事態に対し、文科省からの出向や天下りの役職者たちも、外から見る限り話し合いで解決しようとする姿勢を見せた形跡はない。むしろ、寺尾氏や櫻井氏の決定を後押しし、黙認してきたのではないだろうか。