『パラリンピックと日本 知られざる60年史』の著者で、パラスポーツを支える人々を長年取材してきたジャーナリストの田中圭太郎氏が、パラリンピックムーブメントと障害者を巡る今をレポートする本連載。今回は、38年間にわたって4000近く小学校、中学校、高校、特別支援学校に講演してきた車いすバスケットボール元日本代表キャプテンの根木慎志氏を取り上げる。「誰もが違いを認めて素敵に輝く社会」を目指すことや、人間の可能性などを子どもたちに語り続ける理由、東京2020パラリンピック後の課題を根木氏はどう考えているのか。
(田中 圭太郎:ジャーナリスト)
生徒たちからの大きな応援を受けながら、車いすに乗った根木氏がスリーポイントシュートに挑む。しかし、なかなか決まらない。外れるたびに「あー」とため息が漏れる。
何度もチャレンジして、ついにシュートが決まる。すると、生徒たちから大きな拍手が沸き起こり、「かっこいい!」と声がかかった。
車いすを回転させ、生徒たちに向き直った根木氏は「今のシュートはみんなの応援の力、みんなと一緒に決めたスリーポイントシュートです」と感謝の言葉を述べたうえで、次のように語った。
「応援は、自分が今まで応援してもらったことから始まっていると思う。勇気や元気をもらえて大成功したり、うまくいかなかったけど嬉しかったりした経験があって、応援してもらうことに価値があることを知っているから、みんなは応援できる人になったのかなと思います。
僕も振り返ると、高校のときにけがをして、しゅんとなっているときに同級生が毎日見舞いにきてくれて、頑張れと言ってくれたから今があります。『応援ありがとう』という言葉は、オリンピックやパラリンピックで優勝した選手だけのものではありません。ここにいるみんなも、いろいろな場面で人に支えられて、応援してもらって生きているから、楽しく応援できる人たちになっているんだと思いました」