「ダイバーシティ」が企業の合い言葉となる中、障害者雇用の促進も大きなテーマになっている。そのモデルとなる場が大分県別府市にある。日本初の福祉工場として、1972年に設立されたオムロン太陽だ。当時の立石電機(現オムロン)と社会福祉法人の太陽の家が共同出資して誕生した。
設立から50年、オムロン太陽は障害の有無や種類に関わらずワンチームで働くことができるノウハウを、世の中に広く伝えようとしている。それは、共生社会づくりを掲げて開催された東京2020五輪・パラリンピックのレガシーになりうる可能性がある。『パラリンピックと日本 知られざる60年史』の著者で、パラスポーツを支える人々を長年取材してきたジャーナリストの田中圭太郎氏が、オムロン太陽の現在を紹介する。
◎これまでの連載はこちらから
第1回:夏季パラリンピックを2回開催した唯一の都市、東京はレガシーを残せるか(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72051)
(田中 圭太郎:ジャーナリスト)
さまざまな障害者が生産ラインごとに
「こちらはUDトークと言いまして、(タブレット端末で)音声を拾ってこのように文字に起こして表示してくれます。聴覚の障害のある従業員とは、普段はこちらを使用してコミュニケーションをとっています」
大分県別府市にあるオムロン太陽は、社員と工場の従業員約120人のうち、障害のある人が半数以上を占める。さまざまな障害のある人が生産ラインごとにチームを構成し、ソケットやスイッチ、センサーなどの電気機器を製造している。
2022年4月には設立50周年を迎えた記念行事として、社員や従業員が自ら業務内容や働き方について説明する特別工場見学会「はたらくひと見学」が開催された。普段の見学では、訪れた人はガラス越しに作業の様子を見るだけだが、この日は工場の中に入って直接話を聞くことができた。
「(この生産ラインは)作業している人数は全部で4人です。うち3人に障害がある方がいて、1人は健常です。このラインで大切にしていることは全員でミスなく、もれなくということに気をつけて、細かいところからコミュニケーションをとって仕事をしていくことをとても大切にしています」