神奈川県座間市が取り組む困窮者支援「座間モデル」が注目を集めている。それは、自治体が支援団体とつながり、生活保護利用者だけではなく、その手前にいる困窮者のサポートもおこなうという取り組みだ。日本全体が貧困化する中、生活に困窮する単身高齢者やひとり親、ひきこもりや障がいのある家族を抱える高齢世帯などを支える社会の仕組みが求められている。「座間モデル」は、その一つの解答と言える。
なぜ、座間市はこうした画期的な支援を実現できるのか。なぜ、座間市は地域を巻き込んだ新しい仕組みを作ることができたのか──。その疑問をひもとけば、一人の職員の奮闘に行き着く。ジャーナリスト・篠原匡氏の著書『誰も断らない こちら神奈川県座間市生活援護課』より、福祉業界の猛者を動かしたある男の奮闘を紹介する。(敬称略)
非正規社員の根雪
2000年代は、日本の困窮者対策の転換点だった。非正規社員の増加と、リーマンショックがその原因である。
「一億総中流」という言葉も今は昔。1990年代前半にバブル経済が崩壊して以降、日本経済は低成長が常態化している。中でも、90年代後半以降、不良債権と過剰債務に直面した企業は利益を捻出するため、資産売却とコスト削減を推進した。
リストラのために座間工場を売却した日産自動車は、その典型だ。
「技術の日産」といわれたように高い技術力を誇った日産だが、バブル崩壊後、2兆円余りの有利子負債を抱えて破綻寸前の状況に陥った。危機を脱するため、座間工場の閉鎖を決めたが、販売不振は止まらず、最後はルノーから送り込まれたカルロス・ゴーンの下、リストラの大なたが振るわれた。
2018年にイオンモール座間に姿を変えた座間工場は、製造業からサービス業に雇用がシフトしている日本を象徴する存在だ。
日産に限らず、企業の事業再編や生産拠点の閉鎖に伴って、少なくない人がリストラの憂き目に遭った。そして、正社員という「既得権」を温存するため、企業は新卒採用を抑制し、派遣など非正規社員への置き換えを進めた。
総務省統計局『労働力調査 長期時系列データ』を見ると、労働力人口に占める非正規雇用の割合は1989(平成元)年の約20%から2019(平成31)年には約40%と倍増している。
特に、1998(平成10)年から2003(平成15)年の5年間の伸びが顕著だ。その背景には、消費増税や金融危機に伴う1990年代後半の景気悪化と、1990年代半ば以降、数度にわたって規制緩和された労働者派遣法の改正がある。
非正規への置き換えが加速したこの時期に、同一労働同一賃金や、有期雇用契約を期間の定めのない無期労働契約に転換する無期転換などが議論されれば、非正規社員の処遇は改善され、正社員との格差縮小につながったかもしれない。だが、本来声を上げるべき労働組合も正社員の雇用と待遇を守るのに精一杯で、非正規社員のことを顧みる余裕はなかった。
結果として、不安定な雇用と相対的な低賃金に甘んじる人々が増加し、生活困窮者とその予備軍が社会に根雪のように積み重なっていった。
【篠原匡氏と蛙企画の関連書籍】
◎『TALKING TO THE DEAD イタコのいる風景』(https://kawazumedia.base.shop/items/61011308)
◎『House of Desires ある遊廓の記憶』(https://kawazumedia.base.shop/items/44509401)
◎TRUE STORIES 蛙プロジェクトの「Art, Journalism & Social engagement」(https://kawazuprojects.peatix.com/view)