2000年代は、日本の困窮者対策の転換点だった。非正規社員の増加と、リーマンショックがその原因である。「一億総中流」という言葉も今は昔。1990年代前半にバブル経済が崩壊して以降、日本経済は低成長が常態化している。中でも、90年代後半以降、不良債権と過剰債務に直面した企業は利益を捻出するため、資産売却とコスト削減を推進した。 リストラのために座間工場を売却した日産自動車は、その典型だ。「技術の日産」といわれたように高い技術力を誇った日産だが、バブル崩壊後、2兆円余りの有利子負債を抱えて破綻寸前の状況に陥った。危機を脱するため、座間工場の閉鎖を決めたが、販売不振は止まらず、最後はルノーから送り込