東京2020では競技会場となる新国立競技場の設計までも迷走した(写真:田中 圭太郎、以下も)

コロナ禍で1年遅れの開催となった東京2020五輪・パラリンピック。あれから1年が経過し、贈収賄事件も明るみに出るなど、なお余波は続いている。東京は、実はパラリンピックを2回開催した世界で唯一の都市だ。「ダイバーシティ」や「インクルージョン」という言葉が当然のように語られるようになる中、東京は共生社会に向けたレガシーを残せるのか。本連載では、『パラリンピックと日本 知られざる60年史』の著者で、パラスポーツを支える人々を長年取材してきたジャーナリストの田中圭太郎氏が、パラリンピックムーブメントと障害者を巡る今をレポートする。

(田中 圭太郎:ジャーナリスト)

始まる前からトラブルのオンパレード

 新型コロナウイルス感染症の影響で2021年の開催となった東京2020五輪・パラリンピック。大会から1年が経った今、複数のスポンサー選定などをめぐる贈収賄容疑で組織委員会元理事らが逮捕される事態になった。

 本大会は開催準備の段階からさまざまなトラブルが噴出した。外国人建築家が設計した新国立競技場の白紙撤回、大会公式エンブレムの盗作疑惑、日本オリンピック委員会(IOC)会長による買収疑惑に対するフランス当局の事情聴取、組織委員会会長だった森喜朗元首相の女性蔑視発言、大会演出の統括責任者による女性タレント侮蔑発言、開会式の音楽担当ミュージシャンの辞任・・・

 近代オリンピックの父、フランス人のピエール・ド・クーベルタンが提唱したオリンピズムの精神とはかけ離れた大会になってしまった感は否めない。だがオリンピックに続いて開催したパラリンピックは、テレビ中継の時間が過去に比べて格段に増えた。その面白さや意義について認識を新たにした方も多かったのではないだろうか。

 さまざまな障害のあるアスリートが、創意工夫を凝らして自分の限界に挑む。その姿を通して、世の中に存在するバリアを減らしていくことや、障害があることをマイナスではなくポジティブにとらえることの必要性を、観ている人に気づいてもらう。その結果、よりよい社会をつくるための変革を起こすことが、「パラリンピックムーブメント」と呼ばれるものだ。

 では、パラリンピックによって、東京をはじめ、日本の社会にはどのような変化がもたらされていると言えるだろうか。選手や関係者、障害のある者たちが、大会のレガシーを遺そうと今も活動を続けている。十分な環境が整っているとは言い難い中、それぞれの立場で関わる人々を取材することでパラリンピックムーブメントの現状と課題を明らかにしていきたい。