江戸時代は現代社会をしのぐリサイクル社会だったと言える(写真:アフロ)

 池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公、長谷川平蔵宣以(のぶため)は18世紀後半に放火犯や盗賊を取り締まる火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため:火盗改)の長を務めた実在の人物。この役職は2~3年で交替するのが通例だったが、平蔵は8年間も務めた。わずか50人の部隊だったが、江戸の市中を取り締まり、高い検挙率を誇ったという。平蔵はどのような捜査をしたのだろうか。

(*)本稿は『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』(宝島社新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

◎1回目「『鬼平犯科帳』から紐解く、高い検挙率を誇った江戸時代の犯罪捜査の秘密」から読む

『鬼平犯科帳』をはじめ、時代劇の庶民の住宅としてお馴染みなのが長屋だ。町屋敷の表通りに面した場所には表店が建ち並び、その奥に長屋(裏店)があった。表店に住んでいたのは比較的裕福な町人で、一般庶民の多くは通りに面していない長屋(裏店・裏長屋)に住んでいた。

 表店と表店の間にある木戸が入り口になっていて、くぐると狭い路地があり、その両側に長屋が並んでいた。長屋には共用のスペースがあり、必ずといってよいほど稲荷の祠が祀られていた。

 長屋は個々の家に水道が引かれていなかったので、住人たちは共用のスペースに置かれていた井戸(上水)を利用した。住人は水を汲みに行ったり、井戸の周りで洗濯をしていたが、井戸端に集まって世間話をする姿から「井戸端会議」という言葉が生まれた。

 19世紀の長屋は、家族で住むため、6畳ひと間と台所・玄関の土間からなる4坪ほどの二階屋となったが、水道のほか、トイレや「芥溜(ごみため)」と呼ばれる不要物入れが共用スぺースにあった。また、各戸に風呂がなかったので、朝夕に町の銭湯を利用した。

 飲食以外で、特に江戸で発達したのが修理屋やリサイクル業である。