「明暦の大火」では江戸の多くが消失した(写真:アフロ)

 池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公、長谷川平蔵宣以(のぶため)は18世紀後半に放火犯や盗賊を取り締まる火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため:火盗改)の長を務めた実在の人物。この役職は2~3年で交替するのが通例だったが、平蔵は8年間も務めた。わずか50人の部隊だったが、江戸の市中を取り締まり、高い検挙率を誇ったという。平蔵はどのような捜査をしたのだろうか。

(*)本稿は『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』(宝島社新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

 火付盗賊改と人足寄場(※)という2つの加役を担っていた平蔵だったが、ただでなくても激務である火盗改の仕事との両立は心身ともに厳しいものがあったのだろう。

※軽犯罪者や無宿者を収容して自立支援を手がける江戸時代の刑務所の一種

『御仕置例類集』に記された平蔵が残した判決例は、寛政元年(1789)から寛政3年(1791)までの3年間の合計が30件に対して、平蔵が人足寄場の運営から離れた寛政4年(1792)には25件、寛政5年(1793)に47件、亡くなる前年となる寛政6年には76件もある。

 平蔵が犯罪捜査において卓越した手腕を発揮したのは、平蔵が小普請組時代の放蕩生活(※)での経験が役立ったことは想像に難くない。

※平蔵は継母との折り合いが悪く、若い頃から放蕩三昧の日々を過ごしていた。その当時は「本所の銕(てつ)」と呼ばれ恐れられたという

『鬼平犯科帳』でも相模の彦十やおまさといった「本所の銕」時代の知り合いが登場する。このほか『鬼平犯科帳』には、小房の粂八(くめはち)や大滝の五郎蔵(ごろぞう)などの元盗賊が平蔵の密偵として活躍するが、このような私的な手先は実在し、一般には目明かしや岡っ引、火盗改では差口奉公(さしぐちほうこう)と呼ばれた。