セルビア首都に「ワグネル」の壁画 写真=AP/アフロ

(歴史ライター:西股 総生)

●歴史家が考える戦局のターニングポイント(前編)
●歴史家が考える戦局のターニングポイント(中編)

洋の東西を問わず、普遍的に起きうる現象

 ガダルカナルもスターリングラードも、戦争全体の趨勢を左右するような場所とは考えられていませんでした。ガダルカナルの場合、ことの発端は日本軍機の航続距離という、技術的な都合です。スターリングラードの場合も、「成りゆき」で生じた状況に、ヒトラーとスターリンのこだわりが油を注ぐ形で、攻防戦がエスカレートしました。

 アメリカ南北戦争におけるゲティスバーグの戦いや、日露戦争における203高地の攻防戦なども、要衝ではない場所、予想外の場所が「成りゆき」から激戦地となった例です。どうやら、古今洋の東西を問わず、普遍的に起きうる現象と考えてよいでしょう。

 現場のミス、組織間の連携不足といった事態は、戦争の中ではしばしば起きることです。ここに、上層部の認識不足や独裁者のこだわり、政治・外交上の思惑といった要素が重なると、「成りゆき」で激戦地が生まれ、ひいては戦局のターニングポイントとなるのです。

 さて、ウクライナでは東部のバフムトという小さな町で、激戦がつづいています。本稿を書いている3月中旬の時点では、戦況は予断を許しません。ただ、多くの専門家が指摘しているように、バフムトは決して交通の要衝ではなく、もともと戦略上の価値が高い場所というわけではありません。

 この町が激戦地となって両軍の消耗を招いているのは、多分に「成りゆき」によるものと考えざるをえないのです。おそらく、この方面に展開していたロシア軍の中で、傭兵集団であるワグネル部隊の正面にたまたまバフムトがあり、指揮官が攻略できそうだ、と判断したのが、ことの発端でしょう。

 伝えられるところでは、ロシア正規軍とワグネルとの間には確執があるようです。そうした状況下でワグネルが戦果をアピールするため、バフムトの奪取にこだわり、ウクライナ軍が頑強に抵抗した結果、激戦にエスカレートした、といったところでしょう。

 ウクライナ軍の立場で、純粋に作戦上の観点から判断するなら、この場所でいたずらに戦力を消耗するのは、得策とはいえません。しかし、バフムトが陥落すれば、ロシア側は戦果をアピールして勢いづくでしょうし、ウクライナ軍の士気は下がります。

 逆に、あえてバフムトで消耗戦に持ち込み、ロシア軍に大きな出血を強いることができれば、正規軍とワグネルとの確執が激化して、ロシア側の足並みが乱れる可能性もあります。また、戦線が膠着している間に反攻態勢を整えることができるとしたら、ウクライナ軍はバフムトでの損失を上回るメリットが得られるかもしれません。

 もちろん、同じようなことはロシアについても考えられます。たとえば、バフムトで消耗戦をつづけている間に、クリミアの防衛態勢を整えることができるかもしれません。それなら、ワグネルをすり潰しても見合う、という判断だってありえます。

 この小さな町での攻防戦が決着したとき、戦局はどちらに傾いているのでしょう? はたしてバフムトは、プーチンにとってのスターリングラードになるのでしょうか? 今は戦況を見守るしかありません。この戦いの最終的な評価は、後世の戦史研究に委ねざるをえないからです。(2023年3月10日脱稿)