(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
北条領国の取り残された「小さな独立国」
東急世田谷線を上町駅で降り、静かな商店街を北に2、3分も歩くと、緑道の先に緑の公園が見えてくる。その名も世田谷城址公園。入口には、かつてここが世田谷吉良氏の居城だったことを記した説明板が立っている。
吉良氏はもともと足利氏の支族で、今年(2023年)の大河ドラマ「どうする家康」にも登場した三河吉良氏が本家筋にあたる。赤穂事件で有名な吉良上野介義央も、三河吉良氏の末裔だ。世田谷の方は分家筋にあたり、こちらは鎌倉公方にしたがって武蔵の世田谷に住み着いたものだ。
足利一門である吉良氏は名家だから、南関東一円に勢力を広げた小田原の北条氏も、縁戚関係を結んで、さりげに取り込んでいった。あからさまに手を出すと、将軍家に刃向かう形になって体裁が悪いからだ。
こうして世田谷吉良領は、広大な北条領国の中に島のように取り残された、小さな独立国となった。ヨーロッパのナントカ公国みたいな感じである。その吉良氏の本拠が世田谷城というわけだ。ちなみに、歳末の風物詩として知られる「世田谷ボロ市」は、戦国時代に世田谷城下に立った六斎市が起源である。