「心」とは、どこにあり、どこで生み出されるのか。
一般的に「心」は脳の中にあるとされる。
その根拠として、視覚や体験などにより脳が活性化する部位の存在、精神機能が脳細胞に変化して対応するといった相関などにより、心は脳であると一般的に認められている。
弘法大師空海は、
「心は内に在らず、外に在らず、および両中間にも心不可得なり」
(心は頭の中にも外にもなく、また、その中間に存在するものではない)
と言った。
脳と意識の関係を理解するには、物質的・肉体的な事象だけに目を向けるだけでなく、他の方法で洞察することも真理を理解する一つの手段となるだろう。
人間の意識は、見える、聞こえるといった範囲を超えて距離や時空にかかわりなく、ほかの人の意識や身体に影響を及ぼすことは、世界中の多くの人に認識されている。
私たちは目に見えるものや物質がすべてととらえる傾向があり、見えない世界やそこに潜む意識などは、不確かゆえに実在しないと考えがちだ。
だが、科学の世界では「物質とはすべてが仮の姿にすぎず、エネルギーのみが本質である」とする解釈がある。
目に見える現象をよくよく観察すれば、物事が生じる直接の力と、それを助ける間接の条件である「因」と「縁」の2つの働きによって、すべての物事が生じていることが浮かび上がる。
そこには、見えない世界の存在と働きが私たちが暮らす現実世界の背景にあり、すべての現象には「実態」と「本質」という2つの姿が見えてくる。
たとえば「水」は天では「雨」となり、山では「川」となり、「海」では「波」となってその姿を現す。
しかし、雨、川、海、波はあくまで外から見た現象であり、水自体をとらえた実体ではない。
水は水素原子と酸素原子が共有結合で結びついている。それが水の本体である。
私たち人間も「水」のように現象と本体とを兼ね備えている。
人間の外見は身体という形態だが、人の本体は「意識」であり、意識は肉体を維持する働きをもたらす。
それは眼で見えないが、意識は人に宿りながら、人の肉体を形づくり育むといった役目を担う。
では、「意識」と「心」の違いとは何か。
人は胎内にいる時に宿る純粋な「意識」に、時間と経験の中で生じる喜怒哀楽といった体験を通して、純粋な「意識」は「心」へと開進する。
「心」とは物質である肉体とともに、この世で「意識」が体験した蓄積の異称といえよう。