2015年9月、抗日戦争勝利70周年記念の軍事パレードを閲兵する習近平国家主席と江沢民元首席(写真:ロイター/アフロ)

(譚 璐美:作家)

 今年一年の中国を振り返ると、21世紀前半の大きな節目になる年であったと言えそうだ。

 9月、習近平体制が三期目を迎えたことで、今後少なくとも5年間は強硬路線を維持することが決定づけられた。「台湾有事」が切迫感を増し、米中両国の緊張関係は容赦なく日本を巻きこみつつある。中国が後押しする北朝鮮の核開発への対処も待ったなしの状態だ。

 それにも増して、11月に死去した江沢民元国家主席に対して、習近平が高く評価したことは、20世紀の中国史を大きく決定づける重大な出来事になった。

なぜ弔辞で天安門事件に触れたのか

 12月6日、北京の人民大会堂で開かれた追悼大会で、葬儀委員会のトップを務めた習近平国家主席は50分間にわたって弔辞を述べ、「江沢民同志の指導により、中国の国防と軍隊の現代化は大きな成果を上げた」、「(彼の)思想は何代にもわたって人々の心に刻まれるだろう」と高く評価した。

 その一方、1989年に起きた天安門事件に触れて、「80年代後半と90年代前半に、国内外で深刻な政治的風波が起こり、世界の社会主義は深刻な複雑さを経験した。西側諸国の中には中国にいわゆる『制裁』を加える国もあった」として、しかし「江沢民同志は大胆な決断を下す並外れた勇気と、重大な局面で理論的な確信を行う偉大な勇気を有していた」と絶賛した。

 なぜ今、突然、天安門事件を持ち出したのか。そこに天安門事件の責任を江沢民に押し付ける意図があったとしても不思議ではない。今や中国の最高指導者となった習近平の発言はすべて公式記録に残され、“正しい”「歴史評価」として扱われる。

 もし将来、天安門事件が「名誉回復」されることにでもなれば、習近平が下した「歴史評価」は決定的な根拠となり、「大胆な決断を下」した江沢民は称賛されるどころか、逆に、民主化運動を弾圧した張本人となり、歴史的な「汚点」の責任を押し付けられる事態も起こり得るのだ。習近平自身は、天安門事件と江沢民を強く結びつけることで、「自分には関係がない」過去の出来事として扱うことができる。つまり、習近平が称賛すればするほど、江沢民の光と影は濃さを増し、“罪”もまた重くなるのである。