(福島 香織:ジャーナリスト)
12月6日、中国の元最高指導者の江沢民の追悼大会が人民大会堂で行われた。習近平が神妙な顔で、50分にわたる弔辞を読み上げた。
意外であったのは、江沢民に送られた様々な形容詞が鄧小平に勝るとも劣らない素晴らしいもので、ひょっとして習近平は内心本当に江沢民のことが大好きだったのかもしれない、と思うほどだったことだ。
この追悼大会の日は一日すべての娯楽が禁止されるなど、鄧小平の追悼大会のときにはなかった通達もなされた。
だが江沢民の最高指導者としての功績は明らかに鄧小平よりは低い。そもそも江沢民執政の前半は事実上の鄧小平院政であった。また、習近平は江沢民派を政敵とみなして激しい権力闘争を展開していたはずだ。そんな江沢民に対して習近平がここまで賞賛をこめた弔辞を読み上げたのはなぜなのか。
江沢民の功績としては、第16回党大会で自ら望んで後進に地位を譲ったというくだりにも触れていた。それは第20回党大会で党内の反対派を抑え込んで総書記3期目を強引に連任した習近平の立場とは矛盾するものではないのか。
折しも中国全土で反ゼロコロナ運動、白紙革命が拡大し、そのスローガンの中に「習近平下台」(習近平は辞任しろ)といった習近平個人の責任を問うものまで出始めている中で、江沢民追悼大会がこのような形で行われた理由を考えてみたい。