(林田 直樹:音楽ジャーナリスト・評論家)
「最近のクラシック音楽って…何が一番面白いんですか?」という、あまりにもざっくりした質問をよく受ける。一言ではなかなか答えにくいのだが──おそらく一番大きな答えの一つが、バロック・オペラということになるかと思う。
話は筆者がクラシック音楽の取材の仕事を始めた1989年(平成元年)にさかのぼる。
当時はちょうど東西冷戦が終結しつつある頃で、クラシック音楽界にも大きな地殻変動が訪れていた。その象徴が、音楽界の帝王カラヤンと、バーンスタインの相次ぐ死であった。
二人の両巨頭を失って、次に音楽界がどういう方向に進むのか。しばらく混乱期が続く中で、次なる方向性がはっきり見えたのは1992年のことだったと記憶する。
この年には東京のクラシック音楽界で3つの大事件があった。
1)ショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」(ケルン歌劇場)
2)フィリップ・グラスのオペラ「浜辺のアインシュタイン」(天王洲アートスフィア)
3)モンテヴェルディのオペラ「ユリシーズの帰郷」(東京の夏音楽祭)
いずれも、ほとんどの音楽ファンにとっては初めてライブで体験するものばかり。すべてが衝撃的な舞台であった。
1)は20世紀ロシア音楽の可能性。
2)はアメリカの前衛とポップスの融合するジャンルとしてのミニマル・ミュージックの可能性。
3)はバッハ以前の音楽の圧倒的豊かさを象徴するバロック・オペラの可能性。
いまにして思えば、現在の日本のクラシック音楽界も1992年の衝撃がもたらした爆風の影響下──この3つの可能性の延長線上にあると言っていい。
1)と2)については別の機会で改めて触れるとして、ここで触れたいのは、3)である。