工場で出会った外国人労働者の破れた靴と白米だけの弁当

 全国の自治体でもブラジル人が多い群馬県大泉町の30年の歴史を取り上げた『サンバの町それから 外国人と共に生きる群馬・大泉』(上毛新聞社 2022年)を読むと、日本語が満足に話せないまま、日本社会で孤立を深めるブラジル人の姿が描かれている。

 Qさんが工場で出会ったブラジル人の多くも、日本語が不自由で、表情には覇気がなく、生活の苦しさが露骨に出ていた。

「穴の開いたスニーカーに、毎日同じ服を着ている人が多い。持参した弁当はおかずがなく、白米とふりかけのみ。僕の推測だけれど、パチンコ工場で働いているブラジル人は言葉にハンデがあり、自動車工場などで働き続けられずにここへ来たのではないか」

 Qさんは新しい同僚とのコミュニケーションに努め始めた。

 日本語が話せない人とはカタコトの英語で、日本語も英語も話せない人とはその場で聞いたポルトガル語を持ち帰り、自宅で翻訳ソフトなどを使って調べた。

 会話を重ねるうちに、Qさんはポルトガル語が少し話せるようになり、彼らの家庭の事情も少しわかってきたという。

「在留期間が長くても、母国のコミュニティだけで暮らしている人は日本語もカタコトで、納豆や刺身などの日本食が苦手。子どものころから日本にいて、『日本の学校でいじめられて、学校にはほとんど行っていない』という人は言葉に難があった」

 ちょっと話は逸れるが、先日、筆者は30年以上、アフリカや中東、東南アジアなどでエンジニアとして働いてきた知人と、「グローバルに活躍できる人の素質」について話す機会があった。

 彼は、「言葉は大切なツールだが、それ以前に大切なのは相手と対等な関係を築こうとする気持ち」と話していた。

 これは、海外で仕事をする人に限った話ではないと思う。