鳩サブレーの缶に現金100万円の札束

 Qさんが社会人になった1990年はバブルの真っただ中。大手広告代理店の子会社に就職したQさんは、潤沢な資金を垂れ流すバブル時代を味わった。

「上司が連れて行く銀座のすし屋やてんぷら屋は、会社のツケにするのが当たり前。次長の机に100万円の札束が入った鳩サブレーの黄色い缶があって、僕たちはそこから必要な経費を勝手に出していた。おつりの小銭は空きビンに入れて、半年に一回、その小銭で飲みに行くのが恒例だった」

 当時、Qさんの周りでは、米アドビの画像編集ソフト「Photoshop(フォトショップ)」を使いこなせる人が少なかった。そうしたスキルを持っていたQさんは数年でフリーのデザイナーとして独立するが、仕事が途絶えることはなかったという。

 その後のバブル崩壊もくぐり抜け、Qさんは自分のデザイン事務所を立ち上げる。都内に事務所を構え、小さいながらも最盛期には20人ほどのデザイナーを抱えていた。

「IT革命後の20年間も、売り上げはずっと右肩上がり。有名アパレルメーカーや飲料メーカーなど、広告代理店から発注される大手企業の広告デザインを請け負ってきた」

 そんなQさんがつまずくことになったのが、コロナだった。

「僕の会社が手掛けた広告は、店頭を飾るポスターや電車の中刷り広告など印刷媒体がメイン。ところが、コロナ後はネットの広告デザインが中心になった。僕の会社は、そうした仕事をほとんどやってきていなくて……」

 1000万円以上あったQさんの年収は、300万円くらいまで落ち込んだという。Qさんは、会社の規模を縮小し、都内の自宅を引き払い、妻の実家がある、東京から新幹線で片道1時間の地方都市に拠点を移した。