地方では通じない東京の業界用語

 Qさんは東京の広告代理店から地元の広告代理店を紹介され、新たなクライアントを探すことになった。ところが、そこで壁にぶつかる。

「地元企業の人と話をしても、そもそも言葉が通じない。僕の感覚で言うと、10年くらい前の話をしているような感じ。例えば、『デザインのデータを作って、その先をネットで流すか紙で印刷するかはお客さん次第』という話をしても、『ネットに流すって、どういうこと?』と聞かれる。一体、どこから説明すればいいんだと」

 Qさんは地方に移って3カ月ほどで、新しい仕事を取ることを諦めてしまった。

「東京と地方では、仕事のレベルが違い過ぎる。だから会話が続かない。その後、東京の広告代理店からの仕事が徐々に回復したので、もう地方で仕事を取らなくていいやと開き直ってしまって」

 コロナ前とまではいかないが、コロナ前の半分くらいは仕事が戻ってきた。デザインの仕事はリモートでもできる。物価や家賃が安い地方にいれば、今の年収でも何とか暮らせる。Qさんは、打ち合わせや撮影などが必要な時だけ上京することにした。

 体は地方にあるのに、心は東京にある二重生活。ギョーカイ臭をまとい、地元に溶け込むことがないまま、Qさんの地方生活は1年が過ぎた。

 ある日、朝の散歩中に、近所にある工場に続々と吸い込まれていく人の群れが、Qさんの目に留まった。100人はいるかと思われる労働者の9割は、外国籍の人たちだった。

 そこはパチンコメーカーの下請けとして、パチンコ台の組み立てや検品を行っている工場だった。Qさんはなぜか興味を惹かれる。

「デザインの仕事がもらえないから、この土地の人との交流は皆無。ここでじっとしていても何も生まれない。運動不足も解消したいし、家計の足しにもなる。今まで見たことのない世界を見るのもアリかなと思って」

 工場の時給は1100円。Qさんは本業の合間に週に1~2日ほど、この工場で副業することになった。