10月14日、カザフスタンの首都アスタナで開かれた旧ソ連諸国からなる独立国家共同体(CIS)の首脳会議に出席したプーチン大統領。右端はアルメニアのパシニャン首相、プーチン氏の左はウズベキスタンのミルジヨエフ大統領、その左はベラルーシのルカシェンコ大統領(写真:ロイター/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 10月8日のクリミア大橋爆破がウクライナのテロによるものだと断定したロシアは、報復として、10日にウクライナ各地へのミサイル攻撃を開始した。これまでに110発以上のミサイルが発射され、多数の市民が犠牲になっている。

 ロシア軍は、ウクライナ国内のエネルギー・インフラの約3割を破壊し、さらに通信施設などを攻撃目標にしているという。

 NATOは、ウクライナへの軍事支援を強化する方針であり、戦争は新たな局面を迎えたと言えよう。今後、どのような展開を見せるのか。

 それを予測するためには、ロシア近現代史を振り返るのが参考になるし、また前回の本コラムで説明したように(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/72173)、プーチン大統領が崇拝するストルイピンやスターリンの思想と行動を検討することがヒントになる。

 そのような作業を行うと、実はウクライナがロシア(ソ連邦)の歴史を大きく変えるきっかけを提供したことがよく分かる。ウクライナはロシアを裏切り続けており、敵として殲滅するしかないという歴史認識をロシアの指導者は持ってきたが、プーチンもその例外ではない。

 ロシア革命以降の歴史を遡ってみよう。

ロマノフ王朝崩壊後、自治拡大を要求したウクライナ

 ロシアでは、1917年2月に二月革命が起こる。これにより、ロマノフ王朝は瓦解し、複数の政党からなる連立政権(臨時政府)が成立する。臨時政府は、政治犯の恩赦、言論・集会・ストの自由、普通選挙による憲法制定会議の招集、地方自治体の民主化などを掲げた。

 このころ、当時は少数政党であったレーニンやスターリンのボリシェヴィキは、自らが権力を奪取するために、デモをはじめ、着々と準備を進めた。