なぜ「倭王」から「天子」「皇帝」になったか

「王」と「皇帝(=天皇)」の区別はなされなければなりません。それに付随する「王太子」と「皇太子」の区別も同様です。

 慣習的に、「皇太子」と呼んでいるのだから、それでよいではないかとする見解もわからないわけではありません。各メディアでも「皇太子」とするガイドラインが既に共有されていますので、なかなか変更するのは容易ではないでしょう。

 それでも、本来、区別すべきだと私は考えます。なぜならば、我々、日本人自身が「王」と「皇帝(=天皇)」の区別にこだわってきた歴史を持つからです。

 かつて、日本は中国から「倭」と呼ばれ、その君主の称号として「倭王」を授けられていました。中国では、皇帝が最高の君臨者で、その下に複数の王たちがいました。中国の王は皇帝によって、領土を与えられた地方の諸侯に過ぎません。つまり、「倭王」は中国皇帝に臣従する諸侯の一人という位置付けだったのです。朝鮮半島諸国の王なども同様の扱いでした。

 しかし、日本が自らの君主を、中国側が認めた「王」とせず、「天子」や「天皇」と明記して、中国に国書を差し出しました。

 7世紀、日本は中央集権体制を整備し、国力を急速に増大させていく状況で、中国に対する臣従を意味する「王」の称号を避け、「天皇」という新しい君主号をつくり出しました。皇国として、当時の中国に互角に対抗しようとしたのです。

 こうした日本人自身の歴史を考えれば、「王」と「皇帝(=天皇)」、「王太子」と「皇太子」が同じにされてよいはずがないのです。