1997年に統一教会側から名称変更の相談があった当時、担当の文化庁宗務課長だった前川喜平元文部科学事務次官は、野党のヒアリングに応じて、部下の職員から報告を受けていたとして、こう語っている。
「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできないとして、認証できないと伝え、『申請は出さないでください』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」
「『認証できないから申請を受理しない』という方針を一転し、受理して認証したので、前例を踏襲する役所の仕事からすると、何らか外部からの力が働いたとしか考えられない」
ここに関与しているとの疑惑を持たれたのが、当時の文部科学大臣だった下村博文氏だ。
教団の名称変更、文科大臣の指示なし、報告だけ本当に認証されたのか
下村氏は、申請が認められる以前の2013年から14年にかけて、統一教会系の「世界日報社」の月刊誌でインタビューに応じていて、16年には同社の社長から下村氏が代表の政党支部に6万円の献金があった。
名称変更の手続きは、部長の決裁で済むため大臣には報告しないはずが、この時は担当者が当時の下村大臣に報告したとされる。
下村氏は「世界日報社」の社長からの献金は認めたものの、認証とは関係がないと関与を否定。「文化庁の担当者からは『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う。私が『申請を受理しろ』などと言ったことはなかった」としている。
この疑惑について、8月5日に記者会見した当時の末松信介文部科学大臣は、「宗教法人法上、申請を受理するにあたって、形式上の要件以外を理由として拒むことは、行政上の不作為として違法性を問われるおそれがあると認識している」と説明。1997年に教団から名称変更の相談があったものの、18年が経った2015年に申請を受理したことについては「平成9(1997)年の相談は、結果として申請書の提出がなく平成27(2015)年まで申請してこなかった。平成27年に申請書が出された理由は承知していない」と語っている。