ところがだ。これだけの犯行にもかかわらず、(1)南青山(2)千葉(4)神戸の3つの事件は、職業裁判官が3人で裁く控訴審で、死刑判決が破棄され、無期懲役となってそのまま確定しているのだ。

(3)岡山の事件だけが死刑が確定し、2017年7月13日に執行されている。ただし、こちらも一旦は死刑判決を不服として控訴するも、のちに被告人が自ら控訴を取り下げて確定したものだった。この事件も控訴審の判決が出ていたのなら、死刑が回避された可能性は極めて高い。

「被害者が1人の場合は死刑は相応しくない」が司法のこれまでの判断

 その後も被害者が1人でありながら、検察が死刑を求刑した刑事裁判はある。

 たとえば、ベトナム人の父親が日本語で「リンちゃん」と殺された娘の名を呼ぶ姿が報じられて、広く同情を誘った事件。2017年3月24日に千葉県松戸市で小学校に通うベトナム国籍の3年生女児(当時9歳)が行方不明となり、翌々日に排水路脇の草むらで絞殺体となって発見され、被害児童が通っていた小学校の保護者会元会長が逮捕された。1審の裁判員裁判で、検察は死刑を求刑。極刑を望む117万人の署名が寄せられていた。だが、死刑判決とはならず、無期懲役となっている。

 もうすでに、裁判員裁判でも被害者1人では死刑判決とならない状態が恒常的になっている。

 そしてついには、「裁判員制度が施行されてから殺害された被害者が1名の殺人の事案において死刑が確定した事案がない」と断定して死刑を回避した判決まで出た。2016年10月19日の深夜、大阪府門真市の一軒家に、面識のない男が刃物を持って侵入して、寝ていた父親を殺害し、長女、次女、長男の3人に重傷を負わせたあまりに理不尽な事件だった。大阪地裁は2018年4月の判決で、そう断言すると、「公平性の観点を踏まえて、死刑を選択することが真にやむを得ないとする具体的、説得的な根拠を示す必要がある」と、検察側の死刑求刑を暗に批判までしている。

 つまり、日本の司法は裁判員制度など関係なく、殺害された被害者が1人ならば死刑は適用されないことを、明確に示している。

 安倍元首相が「国葬」となったところで、山上容疑者に死刑判決が下ることは、まずない。そう考えたほうがいい。仮に死刑ともなれば、異例中の異例どころか、日本の刑事司法の歴史を変えてしまうことになる。

 もっとも、この日本に「上級国民」というものが存在したり、政治が司法に介入したりするようなことがあれば、先行きはまったく違ってくるはずだ。