米国のブリンケン国務長官およびオースチン国防長官は4月24日、ウクライナの首都キーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。翌25日にポーランドで記者会見した二人の発表、ならびに26日にドイツのラムシュタイン空軍基地で実施されたオースチン国務長官の記者会見、27日の米上院歳出委員会における議会証言を見るに、ウクライナに対する軍事支援の本格化とロシアの弱体化に乗り出す米国の姿勢が鮮明となった。ホワイトハウスも、これを追認している。
ロシアによるウクライナ侵攻の直後に発表したバイデンの対露経済制裁は、ロシアの銀行に対するSWIFTからの締め出し、NATO(北大西洋条約機構)や米国との同盟国の企業に対するロシアとの取引停止措置(同国内での営業停止を含む)、ロシアやロシア中銀、プーチン大統領などの重要人物の資産凍結など盛りだくさんだったが、期待したほどの成果はなく、今のところ失敗に終わっている。
また、本稿執筆時点(4月29日)でのルーブルの対ドルレートは、ウクライナ侵攻前どころか、約1年前のドル安水準の近傍である71ルーブル(1年前は69ルーブル)まで上昇している。市場の不安心理から、一時的に1ドル=177ルーブルまで下落したことが嘘のようだ。
対露経済制裁のシンボルのように報道されたマクドナルドの閉店だが、現段階では営業を続けており、日本を含む多くのグローバル企業もロシアビジネスを一時的に止めているが、雇用を維持するために送金は続けている。
経済制裁に失敗したため、バイデン政権は軍事支援でロシアを止めようとしているが、それにどれほどの勝算があるのだろうか。
経済制裁と言えば、北朝鮮、イラン、イラク(フセイン政権時)、リビア(カダフィ政権時)など、冷戦後は米国が「ならず者国家」と呼ぶ国に対して実施されてきた。このうちイラクとリビアは当時の政権が崩壊し、二人の独裁者も処刑されている。ただ、それは米国との戦争や国内に動乱が起こった結果であり、経済制裁が成功した事例ではない。
経済制裁に対する米国の成功体験は二つある。一つは第二次世界大戦前の対日経済制裁、すなわちABCD包囲網による石油などの禁輸だ。その結果、大日本帝国を対米英開戦に追い込み、大日本帝国を敗戦に追い込んだ。もう一つはソ連との冷戦である。直接的にはレーガン大統領(当時)の欧州戦略が勝因だと言われているが、長年にわたる対露禁輸制裁は根雪のようにソ連を苦しめた。
ただ、その後は成功例がない。その理由は、当時と今とでは三つの点で世界が全く変わっていることによる。