当初の仕事は牛馬の治療
独立した当初、タケさんは具合の悪い牛馬の治療などで経験を積み、徐々に顧客を増やしていった。
口寄せの客を取るため、30代半ばからは恐山・菩提寺の大祭に通っている。1960~70年代当時はイタコの数も多く、夏と秋の大祭は足の踏み場もないほどに混み合ったという。それ以来、恐山に通っていたが、体力的にきつくなったため、2008年の秋の大祭を最後に恐山には登っていない。
昭和30年代から40年代にかけて、南部地方だけで数十人のイタコが存在した。だが、経済発展とともに、イタコと、その底流にあるアニミズムやシャーマニズムの世界観は次第に衰退していった。
その後の高齢化によって師匠イタコも死に絶えたため、今では歴史的伝統的イタコは数人に過ぎない。中でも、盲目のイタコはタケさん一人である。
90歳になろうとしているタケさんだが、今なお地域のカウンセラーとして様々な相談に乗っている。だが、その年齢を考えれば、いずれは引退の日が来る。その時、わずかに燃え続けてきたイタコの火が一つ消える。
※青森県いたこ巫技伝承保存協会の定義にのっとり、師匠系譜が辿れ、かつオダイジとイラタカの数珠を持っているイタコを歴史的伝統的イタコとしている。