逃亡中の源頼朝を捕縛
頼盛は平家躍進のきっかけを作った、平忠盛(たいらのただもり、1096~1153年)の五男として、1133年に生まれました。長男であった清盛とは、兄弟とはいっても年齢は15歳も離れています。また清盛とは母親が異なっており、いわゆる異母兄弟の関係にありました。
母親の身分がやや低かったとされる清盛とは違い、頼盛の母親は父・忠盛の正室である池禅尼(いけのぜんに、1104~1164年)でした。忠盛と池禅尼の間にはほかにも次男・家盛(いえもり、1123~1149年)も生まれており、当初はこの家盛が正室の子という立場から、長男の清盛を押し退けて平家棟梁の座を継ぐと目されていました。
しかし家盛は、父・忠盛の存命中に若くして亡くなってしまいます。同じ正室の子とはいえ、頼盛は当時まだ幼少であったことから、平家棟梁の座は長男である清盛が受け継ぐこととなりました。
母親の出自と以上のような経緯もあり、頼盛は清盛を除く他の兄弟たちと比べ、早くから官位の昇進を受けています。また平家がその主導権を握るに至った平治の乱(1159年)においては、清盛の長男である平重盛(たいらのしげもり、1138~1179年)とともに主力の大将を務め活躍したとされています。