習近平のボヤキを聞いて北京市内の広告看板を一斉撤去

 現在66歳の蔡奇書記は、福建省出身で、地元の福建師範大学を卒業し、経済学博士号も持っている。だが学者にはならずに、福建省の共産党職員となった。

 そんな蔡氏の運命を変えたのが、1985年に福建省アモイ市副市長としてやって来た習近平氏だった。蔡氏は、2歳年上の習氏の数少ない忠臣となる。

 習氏が2002年に浙江省に移ってからも、やはり浙江省で習党委書記に付き従った。習主席の福建省時代と浙江省時代の部下たちは現在、数多く抜擢されているが、両省でともに部下だったという高官は、ほとんどいない。それだけ、蔡氏の忠臣ぶりが際立っているとも言える。

 蔡氏は、習近平政権が発足した翌年の2014年に北京に呼ばれ、2017年に首都・北京のトップである北京市党委書記に抜擢された。同時に、冬季オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長という重責も任されたのだった。

 蔡書記は、自他共に認める「習近平崇拝者」である。第19回共産党大会(2017年10月)の終了直後、何かの席で習主席が、「最近の北京の景色は、けばけばしくて好ましくない」とぼやいたとかで、北京の広告看板をすべて撤去させる命令を出した。撤去された広告看板の数は、実に2万7000。華やかな首都はたちまち、毛沢東時代のような暗い都市に変わり、「北京をハゲにするハゲ」(当時はスキンヘッドにしていた)と、2300万北京市民に揶揄(やゆ)された。結局、元に戻したのだった。

北京五輪の開会式で挨拶する蔡奇・大会組織委員会会長(写真:AP/アフロ)

 その後も、習主席の「重要講話」に過敏に反応する性格は、相変わらずだった。北京市民からは、「蔡奇怪」「蔡大大」(「大大」は習近平主席を指す)などと言われ、恐れられている。