生活援護課のある座間市役所

 神奈川県中部に位置する座間市。人口13万人ほどの小さな自治体だが、ある取り組みで全国的な注目を集めている。それは、生活困窮者支援だ。この20年、日本をむしばんできた格差と貧困の拡大は新型コロナによって加速している。その中で、座間市は何をしているのか。こちら座間市・生活援護課の第5話。(篠原匡:編集者・ジャーナリスト)

※第1話「『引きこもり』10年選手」から読む(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67707)

 その教師の一言は、今も脳裏に刻まれている。

 日本中がバブル経済に浮かれていた1980年代後半、高校生の林に社会科の教師がこう言った。

「みんなが卒業する頃には、景気は間違いなく悪くなる。君たちはその先を考えなければならない」

 新聞やテレビを見れば、株価や不動産価格が右肩上がりで上昇していく様子が報じられていた。東京や大阪は言うまでもなく、林が住んでいた神奈川県大和市も好景気に沸いており、熱狂は未来永劫、続くように感じられた。それなのに、好景気が終わるという。

「先生は何を言っているのだろうか」

 そう思った林だが、教師の一言がずっと耳から離れない。そして、大学進学が近づくにつれて、「将来、なくならない仕事は何か」ということを考え始める。

 その時に、ふと浮かんだのが「高齢化」という言葉だった。

 世の中はバブル経済で浮かれていたが、近い将来、高齢化が襲ってくると指摘されていた。人口動態は長期的なトレンドで、経済情勢に関係なく高齢化社会が進行するのは間違いない。ならば、高齢化によって重要になってくる仕事は何か。例えば、葬儀や福祉関連の仕事であれば、食いっぱぐれがないのではないか。そう思ったのだ。

 そして1990年、林は東北福祉大学に進学し、障害者施設などでのボランティア活動に関わっていった。そこで、ある障害者と出会う。知的障害と身体障害があり、生活全般の介助が必要な男性だった。

 たまたま、大学の同級生がその男性の介助ボランティアをしており、手伝うようになった。その後、男性と親しくなった林は家族ぐるみの付き合いを始める。

 それからしばらく経ったある日のこと、男性がこう言ってきた。

「鈴鹿にF1を見に行きたい」

 男性は、F1中継があれば必ず見るほどの大ファンだった。ただ、当時、林が暮らしていた仙台から三重県の鈴鹿サーキットまでは、片道700km以上の距離がある。新幹線と在来線を乗り継いでいくと、かなりの長旅だ。一瞬、不安がよぎったが、大切な友人の頼みである。日本グランプリの開催に合わせて、林と同級生は男性と一緒に、憧れの鈴鹿サーキットに行くことになった。

 だが、想像通り、車椅子での旅行は困難を極めた。当時は駅のバリアフリー化はほとんど進んでいなかった。エレベータもない。東京駅や名古屋駅で乗り換えようとすると、車椅子ではとても移動できない段差の連続となる。そのたびに、林は同級生と協力して男性を背負い、荷物や車椅子を担ぎ上げた。

「特に名古屋駅が大変だった。駅構内が迷路のようで本当に苦労した」

 旅行自体は心の底から満足できた。思いがけない体験に、男性や彼の家族も喜んでくれた。ただ、林の心の中には釈然としない気持ちも残った。

 ただ旅行を楽しみたいだけなのに──。それが障害者にとって、これほど困難なものなのか。健常者には見えない壁が多すぎる現実に、気づかされた。

 そして、林は障害の有無にかかわらず、誰もが生きやすい社会を実現するために、貢献し続けようと誓った。

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