原発建設が前提のシナリオ崩壊で疲弊する東通村
一方、六ヶ所村の隣の東通村は少し様子が違う。同じような開発に名乗りを上げ、原発を誘致したが、今、村は財政赤字に苦しんでいるのだ。確かに原発誘致決定後、村は様変わりした。1975年に国道が開通、1988年の村政100周年には地上5階、地下1階という立派な村役場が建設された。その後も建設は続き、考えうる限りの箱物が村に建てられていった。
実際村を歩くと大学かと見まごう中学校、木の香り豊かな老人介護施設、総ミラー張りの火葬場、とまさにゆりかごから墓場までの充実ぶりだ。
中でもひときわ目を引くのは村役場の隣に立つ「村議会議事堂兼交流センター」だ。村の人はこの建物を「鉄人28号」と呼ぶ。これらの施設は電源三法交付金や電力会社の寄贈によって建てられた。村はまずは施設を整備し、そして住民が満足するリッチな村へと変貌を遂げるはずだった。
そこに大震災が起きた。東通村には東北電力と東京電力が全部で4基の原発を建設する予定だったが、唯一稼働していた東北電力1号機は運転停止し、残りの3基の建設は中断した。そして10年、検査は長引き、1号機の再稼働の見通しは何度も延期されている。他の原発の建設も中断したままだ。村は疲弊している。今は電力会社からの寄付が頼りだ。
夕暮れ時、村は静かだった。話を聞こうにも通りには人はいない。やっと遠くの浜で人影を見つけた。
その男性は荒海に腰までつかり昆布を集めていた。
「もう原発も村もどうしようもなんねぇな。村も金のもらい癖がついちまって、一人歩き出来ないんだろうし」
そう言うと男性はまた、黙々と昆布拾いを続けた。
「お金より仕事より命がずっと大事」
と、六ヶ所村で反対運動を続ける女性は言い切った。
しかし、経済という大きな渦に呑み込まれている私達にとって、そう言い切ることはたやすいことではない。
取材を続ける中で「都会という大量消費社会から〈原発への不信〉だけを首からぶら下げて取材に行くことに驕りはなかったか?」という自問が生まれていた。