反対派は少数になり、1984年12月、町は原発誘致を決めた。しかし、それから2008年5月に至るまでの長い間、大間原発は着工すらできなかった。原子炉予定地の地権者・熊谷あさこさんが頑強に原発反対を訴え、土地を手放さなかったからだ。その後あの手この手の挙句に用地買収を断念した電源開発は建設計画を変更してやっと着工にこぎつけた。その3年後の原発事故の事など誰が予測できただろうか。
原発に反対する者は「村八分」
あさ子さんの抵抗の証として建設予定地の真ん中に建てたログハウスに移り住んで反対運動を続ける娘の厚子さんに話を聞いた。
「福島の事故が起きた時、やっぱり恐ろしい事が起こった、取り返しのつかない事が起こった、と思いました。ここの人達も改めて恐さがわかったはずなのに、誰も何も言いません。ここでは原発に反対する人間は政策に異を唱える不届き者なんでしょ。完全に村八分になっていますけど、私はここを絶対離れません」
この「あさこはうす」は全国の反原発運動のシンボルとなっている。しかし厚子さんに気負いはない。
「私が外出すると怪しい人がついて来るのよ。まるでストーカーだわ」
と厚子さんは笑った。