2012年の改修でこれを撤去してしまったのは松田平田設計と建築家の香山壽夫氏(1937年生まれ)だ。芦原よりも約20歳若いが、香山氏もまた東京大学教授を務めた大御所である。香山氏は大ナタを振るい、恐怖の直線エスカレーターを、西側の壁沿いにL字に2段階で上る形に変更。低い方のエスカレーターの脇に楕円形のボックスオフィス(チケットブース)を設け、その上におしゃれな休憩スペースを設けた。

「撤去される」と聞くと寂しくなるもので、改修計画を聞いたときには、「やっぱりあのエスカレーターはあの空間に不可欠なのでは」と思った。でも、改修されてなくなってみると、さほど違和感はない。いや、明らかに、ない方がアトリウムに開放感があり、居心地がいい。あの直線エスカレーターは、乗らなくても空間全体に威圧感を与えていた。たぶん今、アンケート調査をしても「昔のエスカレーターの方がよかった」という人はほとんどいないと思う。

 もしかしたら芦原自身も、長い目で考えれば「ない方がいい」と思っていたかもしれない。あのエスカレーターは、計画段階で「アトリウムの必要性」を説くためには必要だったのだろう。駅から見たときにシンボルとなるガラスの箱、そして、中に入ると、吹き抜けを見上げるように一気に5階まで上るエスカレーター……。ストーリーとしてはその方が分かりやすい。設計はアトリウム黎明期の80年代後半だ。もし計画段階から「L字に折れ曲がるエスカレーター」であったら視覚的インパクトに欠け、アトリウム自体が実現しなかった可能性が高い。

 先に触れた駒沢体育館の広場を思い浮かべると分かるが、本来の芦原は、広場に「余計なものを置かない」人なのだ。何もないアトリウムの心地良さは、芦原も分かっていたはず。天国の芦原も、今のアトリウムを見て安心しているのではないか。

 芸劇の建築的側面は以上なのだが、だがもう一つ、見逃してはいけないものがある。それが建物前の屋外広場だ。それについては次回。

◎本稿は、建築ネットマガジン「BUNGA NET」に掲載された記事を転載したものです。

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