2001年9月11日の米同時多発テロから20年。「テロとの戦い」に明け暮れた米国だが、いまだその目的は達せられていない。サウジアラビアの日本大使館でビンラディン容疑者の情報収集に当たっていた著者が、テロ撲滅に向けた視点と米国の問題について指摘する。
(山中 俊之:著述家/芸術文化観光専門職大学教授)
ニューヨークとワシントンDCにおける2001年9月11日のテロ襲撃。当日、帰宅後のニュースで世界貿易センタービルの崩壊を見た瞬間、即座に「ビンラディン容疑者の仕業だろう」と思った。
1990年代半ば、サウジアラビアの日本大使館で、当時からサウジアラビアではテロリストとして有名であったビンラディン容疑者の情報収集に当たっていた私は、ここまで大規模なテロ活動を実行できる容疑者はビンラディン容疑者以外にいないと即座に結びついたのだ。
世界のメディアは、同時多発テロの節目となる20年追悼式典を大きく報道している。3000人近い犠牲者の方には心よりご冥福を祈りたい。
あれから20年が経過したが、紛争とテロはなくなっていない。イラクのサダム・フセイン大統領に対するイラク戦争、「イスラミック・ステート」のテロ行為、タリバンのアフガニスタンの再制圧・・・。今でも数多くの紛争やテロが起きている。
テロ行為の根絶を多くの人が望んでいるのは間違いない。本稿では、テロ行為の撲滅につながる視点、テロをなくしていく方策について、あまり触れられることが少ない米国の問題にもあえて触れながら、述べることにしたい。
まず、言うまでもないが、アラブ人、イスラム教徒の圧倒的多数が、イスラム教過激派のテロ行為については批判的である。
「イスラム」と平和を意味する「サラーム」は、アラビア語で語源が同じである。アラブ人の挨拶は、「アッサラーム・アレイクム」。直訳すると「あなたの上に平和を」である。
コーランにおいても、無辜の市民を殺戮することは、もちろん否定されている。アラブ人、イスラム教徒は平和を重んじる民族であり、宗教だ。一方で、アラブ人、イスラム教徒は、このような感情も持っているであろう。
「一方的に、中東にやってきて、無辜の市民を殺さないでほしい」と。