(田丸 昇:棋士)

藤井対豊島の王位戦第4局で、対局場を変更

 今年の王位戦7番勝負は、藤井聡太王位(19・棋聖と合わせて二冠)に豊島将之竜王(31・叡王と合わせて二冠)が挑戦した。

 藤井は第1局で敗れたが、第2局から豊島に4連勝し、王位の初防衛を果たした。

 王位戦第4局は、8月18・19日に佐賀県嬉野市の旅館で行われる予定だった。

 しかし、九州の北部地域は15日から、停滞する前線による記録的な大雨が生じ、各地に土砂崩れや浸水の被害が相次いだ。

 佐賀県にも避難指示が発令された。嬉野市の旅館に大きな被害はなかったが、対局者や関係者の当地への移動、前夜祭や大盤解説会の開催は難しくなった。

 そして、棋戦担当者らが協議した結果、同じ日程で大阪の関西将棋会館で行うことに決まった。

 藤井は16日に同会館で対局していて、豊島は関西在住だった。対局場の変更に支障はなかった。

小型機搭乗がプラスに働いた?中原誠

 タイトル戦の対局で、悪天候によって対局場が変更されたのは異例だった。実は、過去にも悪天候に影響を受けたことはあった。

 1978年(昭和53)の名人戦7番勝負は、中原誠名人(当時30)に森けい二・八段(同32)が挑戦した。

 森が2勝1敗と勝ち越して迎えた第4局(4月17・18日)は、森の故郷である高知市の旅館が対局場だった。

 飛行機に乗るのが嫌いな森は、東京から新幹線、宇高連絡船、在来線を乗り継いで高知に着いた。

 中原と関係者の一行は、羽田空港から双発機のYS-11で高知空港に向かった。しかし、高知空港は濃霧のために着陸できず、大阪空港に変更された。

 名人戦主催者の毎日新聞社は窮余の策として、所有する6人乗りの小型機を手配した。中原らはそれに乗り換え、大阪空港から高松空港に向かった。さらに高松から在来線を乗り継ぎ、高知の対局場に夜になってやっと着いた。

 新聞社が取材で使う機体を、一般の人が乗る機会はめったにない。中原は不安に思う反面、通常の飛行機とは違う窓から見える景色を楽しんだという。その心の余裕がプラスに働いた。

 中原は敗れるとカド番に追い込まれる第4局に勝ち、以降も連勝して名人位を防衛した。