ビジネスパーソンにとって「過去の事例を知ることで未来を予測」できるようになることは大切だ。実際、「歴史」を学ぶ経営者も多い。
一方で、年月を遡るほど、その情報は不確かなものになる。検証されていない歴史が「事例」として扱われることに警笛を鳴らすのが、歴史家の乃至政彦氏だ。乃至氏は、近著『謙信越山』で一次史料にもとづいた上杉謙信の真の姿をつづり、大きな評判を呼んだ。
歴史と経営、ビジネスそして生き方。
何がどうつながり、生かされるのか。『世界標準の経営理論』などベストセラーを刊行し、経営学の理論をわかりやすく紹介する早稲田大学教授の入山章栄氏とともに「歴史から得る学び」を丁寧に分解する。
第1回は、歴史を検証する重要性と世界の捉え方を学ぶ(全4回)。
謙信の多面性が、なぜこんなにおもしろいのか
──なんでも入山先生の家系は上杉謙信(以下、謙信)に関係があるとうかがいました。
入山章栄(以下、入山) そうらしいんです。
むかし、新潟県の保坂という町に住む父方の祖父が家系図を見せてくれて「祖先の保坂徳右衛門という方が謙信の家臣だった」と。その保坂徳右衛門がどこかで謙信を裏切って、逃げ込んだことで、その地域が保坂町と呼ばれるようになったらしいんです。
とはいえ、地方にはこういう話がたくさんあるので、真実はわかりませんが、本当であればわたしは謙信の家臣、ただし裏切った者の末裔になります(笑)。
乃至政彦(以下、乃至) 謙信にゆかりがあるとはびっくりしました。場所から推測するに、──これは『謙信越山』に書かれている時代からずっと後の話ですが──本庄繁長という武将が近くで反乱を起こした記録がありますので、その時のゆかりの人かもしれません。
あるいは、言い伝えは時代がずれることが多々あるので、謙信の時代は裏切らず、景勝の時代に裏切りを働いたのが、いつの間にか話が入れ替わった可能性もありそうです。謙信が亡くなった後、同地域で新発田重家という武将が上杉景勝(謙信の養子で後継者)に楯突いたことがあります。その家臣だった可能性もあると思います。
入山 たしかに、時代がずれている可能性もありますよね。次に家系図を見る時は時代と照らし合わせながら調べてみたいと思います。
──さて、今回は謙信がテーマの一つになりますが、入山先生は謙信に対してどんなイメージを持たれていましたか。
入山 わたしの謙信のイメージはごく一般的なもので、「戦(いくさ)上手」で「義将」。特に「敵に塩を送る」ほどの義の人で、将軍家を守り、平和を望んでいた人なのかなと。
乃至先生の著書『謙信越山』を読んで良い意味で裏切られたのが、謙信の人物像の複雑さです。イメージ通りの側面はありつつ、例えば、意外と野心的なところがあって「義将」はプロパガンダだったのではないか、という考察などがそれです。人間は一面的じゃないんだなと思わされました。
というのも、世の中の出来事も同じです。どうしても一面的に捉えてしまいがちですけど、実際は多くの場合で多面的で複雑なものです。
例えば東芝で起きた社長退任の一件(※東芝の車谷社長兼CEOが2021年4月14日付で辞任、綱川智会長が社長兼CEOに就いた)も、かなり報道は一方的ですが、現実はそう単純じゃないですよね。わたしも色々な関係者から話を伺いましたが、一人の人間にも多面性はあるし、現実にはメディアが報じるよりもはるかに複雑な背景があるだろうと思っています。
そういった意味で歴史上の人物もニュースと同じく「一面」で捉えてしまいそうになるけど、乃至先生は多面的に謙信の人間像を描かれていて、本当にそうだよなと納得しながら読ませていただきました。
──歴史は現代のニュースに比べれば多面的に捉えやすそうですが、このところそうした本は少ない現実もあります。そのあたりについて乃至先生はどうお考えですか。
乃至 入山先生のお言葉に強く共感します。
実は最近、事実の確認に力点が置かれる歴史本が増えています。これは、歴史の見直しが始まっていることに起因しています。
以前は人物に関する史料が豊富にあって、そこから人物を語る本が多く出版されていました。しかし最近になってその史料が「作り話」だとわかってきたんです。作り話をもとにしても、それが学びにつながるかは疑問です。だから見直しが始まっている。
このことはもちろん素晴らしいのですが、一方で「歴史に学ぶ」という素朴な欲求に対しては物足りない思いがあります。自分の経験だけでなく、より多くの歴史から知識や教訓を学ぶことが重要な体験になるからです。そして、実際にそれを求められている人のほうが多いのではないかと感じています。
事実の見直しが進むにつれて、「歴史に学ぶ」ことに答える本、例えば人間として織田信長や武田信玄を語るものが少ない。
史料が足りないと言ってしまえばそこまでですが、検証に使える史料は数十年前よりもはるかに整っているわけです。なので、今まで積み重なってきた史料をもとに上杉謙信という人間を考えるとどんなことが見えてくるのか検証しようじゃないか。
『謙信越山』はそういった意図をもって書かせていただきました。
入山 読めば読むほど乃至先生の研究者としての誠実さが伝わってくるんですよね。
史料を丁寧に読み解いて、その史料が信用できるのか否か、検証の部分から根拠がしっかりと書かれている。誤解を恐れずに言うと、そういう本ってつまらないことが多いんですけど(笑)、本当におもしろかったです。両立されているのが素晴らしいですよね。
乃至 恐れ入ります。