(英エコノミスト誌 2021年8月21日号)

アフガニスタンから隣国パキスタンへ逃れてきた家族(8月20日、写真:AP/アフロ)

その責任の大半はジョー・バイデン大統領にある。

 イスラム主義組織タリバンのプロパガンダ担当者が、アフガニスタンを作り変えようとする米国の20年来の任務が失敗に終わる筋書きを描いていたとしても、ここまで悲惨な光景は思いつかなかったはずだ。

 タリバンの戦闘員が首都カブールに乗り込んでくると、勝利を手にした狂信者たちが取るかもしれない行動に怯えたアフガニスタン人たちは、滑走路から離陸しようとする米国の輸送機を走って追いかけた。

 なかには、降着装置によじ登ろうとしたがかなわず、転落死した人もいた。

 米国を後ろ盾とするアフガニスタン政府は戦うことなく降伏した。米国政府当局者は、そのほんの数日前まで、そんなことにはならないと話していたのに、だ。

 アフガニスタン国民は、疾走する飛行機の車輪にしがみつくことが最善の選択肢に見えてしまうほど恐ろしい状況に置かれていた。

20年経って振り出し

 米国がアフガニスタンに投じた資金は2兆ドル。命を落とした米国人は2000人を超える。数え切れないほどのアフガニスタン人も落命したことは言うまでもない。

 それでも、たとえ今のアフガニスタンが米国の侵攻時より豊かであるとしても、これですべては振り出しに戻った。

 タリバンは今や、政権の座を追われた時よりも広い地域を支配下に置いている。

 米国がアフガニスタン軍に大量に供与した武器を手に入れた今、当時より戦力も高めている。そして、超大国を倒したという究極の承認も勝ち取った。

 タリバンは寛大な姿勢を示している。

 倒れたアフガン政府のために働いていた人々に報復することはないし、女性の権利についても、自分たちが解釈するイスラム法の範囲内で尊重すると述べている。

 だが、タリバンが政権を握っていた1990年代には、その解釈のためにほとんどの少女が学校から締め出され、ほとんどの女性が自宅に閉じ込められた。

 むち打ち、投石、手足の切断といった残忍な刑罰は珍しくなかった。

 都会に住むアフガニスタン人がここ20年間、当たり前だと思っていた自由は今、煙のごとく消えてしまった。